インフルエンザと言うものは、何度ひいてもキツイです。高熱で寝込んでいるそんな私の脳みそを切刻む様に着信が鳴り響き、それを断ちたくやっとの思いで携帯電話に出たのです。
社長:「どうもー、ありがとうー!!」
私の脳みそを更に細かく切刻む様な元気のよい甲高い声、
私 :「あ・・・あー、社長ですか?どうしました?」
社長:「会社に電話したらアンタ、病気で休んでるって言うじゃない?だから携帯に電話したのよ。」
私 :「・・・それはどうも、お手数をおかけしました。」
社長:「いやね、本日バンクミーティングの結論が出てさ、こちらの示した私的整理案に銀行団が全行一致で承認してくれたんですよ。」「アンタが、いろいろ動いて支援表明してくれたおかげですわ。」
私 :「いえいえ・・・それは・・・本当に良かったですね。」
社長:「これで、私も社員を路頭に迷わせずに済む。」「私はクビになりますけど、もう歳だし気ままな個人業でやっていきますわ。」
私 :「いい先生(弁護士)に巡り合えて良かったですね。」
社長:「ほんと、ほんとー良かったですわ。」
プチっ(携帯の通話が途切れる音)
この2年程前、海外貿易も実績があり外国に顔の効く老舗卸売業であったこの社長の会社は、決算書のそこかしこに異常値が出始め、即倒産するという状態では無かったものの過剰な金融債務が、いよいよ経営存続リスクとなる兆候が見えたときでした、当社はもともと長い付合いで不動産担保を頂いていたのですが、それまでの優良ぶりから返還してしまっており今回の信用悪化を受けて、これから戦略上重要な商品販売を控えた営業側は悩み、与信枠を増額するにはどうすれば良いかの相談をしてき、上記の推移から私は「様子を見たほうが良い」と諭し同時に「周辺の金融機関の動向に気を配り、他社をはじめ出入業者からも情報収集した方が良い」というアドバイスをしたところだったのですが、営業側から「社長が私に会いたいと言っている」との事を伝えて来たのでした。
それから長い2年間、再生に向けて協力をする事になり、電話はその結論が出た事の報告と御礼という事だったのでした。
実は、この会社の事は昔からあまり好きではありませんでした。なぜなら、社長さんは老齢でしたが自由奔放で、あまり固定観念にこだわらず行動される方だったからです。それだけで人を嫌いになるというのは語弊があるのですが、その行動は「違法な商品を下請けに作らせた」とか、「計画倒産の黒幕になった」とか「売っちゃいけない生き物を売った」「違法すれすれの販売手段で業界を混乱させた」などと、よく苦情が出る敵の多い人で、いつトラブルに巻込まれるか「油断ならない先」として扱っていたのでした。つまり与信管理実務者の定性情報としては「経営モラルの低いリスクの高い人」と映る人物だったのでした。
でもこうなる前の10年間は、毎期増収増益で誰もが評価し決算分析でも優良値を維持、「上場も可能性ありだ」として7行ものメガ銀と大手地銀が出入りする注目企業で、銀行がまるで競争する様に貸付合戦を繰り広げる程で、借入残は当初の三倍ほどに膨れ上がったもののイケイケは続き、某メガ銀行の融資担当者が私宛に電話してきて「あの社長が、御社が与信枠を上げてくれないと泣きついてきた。どうしてあの会社の与信枠を増額してあげないのですか?」「あんなにバイタリティある社長に対して、もったいないじゃないですか?」 と、私は言われたほどでした。でも「業界には業界の、昔からあるキャラへの定性評価もありまして・・・」と口ごもる私に、「頭の固い古い与信管理者だな?まぁいいよ、当行が融資すれば、そちらはいくらでも売れるでしょ?大手メーカーだからって偉そうな態度でいいの?」という感じの言葉を遠回しに残し、電話を切られた事もあった程でした。
ところがその後、急激な不況が訪れ、その会社の販売高は急下降、3年連続経常赤字となりあっという間に債務超過になってしまったのです。
年商が高く総資本回転率も優良でしたが実際、継続的な成長を当て込んだレバレッジ期待だったためか元々大きくない総資本に借入が繰返されて嵩み、借入依存度が高くなったところに売上減で経常赤字も重なった事でたちまちの存続危機を招いたかたちになりました。銀行側もほとんどが無担保融資、3期連続赤字と債務超過への転落はコベナンツ条項にも抵触してしまいました。
今回決算アラーム分析も、決算書を頂いた時点でいち早くこの会社の危機を想像させるに十分な分析結果を出したので、私は営業マンに「まずは情報収集を」と社内に共有し告げた次第だったのでした。
(②につづく)