港の港湾関係の建物が並ぶなか、社長の社有不動産はあった。大きな鉄鋼関係の工場が入っていて中では巨大な鋳物が釣り下がり火花を散らしている。どうやら大型貨物船のエンジンの一部の様だ。曲線が多くレトロ感のあるエンジンがエイリアンのギーガーデザインを思わせる。社長の事務所は、その3000坪はあろうかという広い敷地の隅っこ300坪ほどのスペースで営んでいるのみ。
あとは賃貸だ。工場で働く多くの港湾職人達の姿を見ながら社長が私に、「最初はここ全部で営業しようと思うとった。ここを買ったとき天下取った様な気分でいたよ。若かったからね。でもそのうち現実が見えてきた。貸した方が得策だと悟り、自分の会社より大きな会社に貸して家賃収入を得たほうが将来安定だと考える様になった。従業員もパートのおばちゃんだけや。それでも手に職をもって頑張ってくれている。この建物は手放す羽目になるが、先生が言うにはこの工場に入っている会社に買ってもらう方向なんだ。バブルの時は今回の何倍もの値段で買いたい言ってたので、あの時売るべきだったかな。」
やんちゃとばっかり思ってたけど、実際は真面目な人だったんだな。自分の思い出に浸りながらも資産よりも従業員や会社の維持を優先すると覚悟を決めたその姿は私の目に潔く映りました。でも、いや与信管理実務者としては感傷に浸ってはいけない、いろいろなやんちゃな過去も、こう言う動機で手を出してたのだろうと想像すると、いくら守るものがあろうとも利害関係者に迷惑をかけたり巻き込んだりするのは良くない。私の頭で“嫌い”と“可哀そう”がクローバーの葉っぱの様に交互に積まれるのでした。
当社(私の会社)は、支援表明をするには社内決裁を採る必要があり、上層を説得の末、営業が起案者となり私が安全が保証されるコメントを差込む形式で経営の決裁を頂き、この会社が私的整理中は商品を供給し続けるという「支援表明証」を作成し営業が提出しました。いよいよバンクミーテングの日、はたして銀行団は金融債務の半分以上を放棄してくれるのか、見ものでした。
方法論は良くある話と前述しました。このパターンは放棄を受けてもらった後の残債を何年で返済するみたいな条件になるのが普通で、だいたい私的整理はそんな約束守られるケースは少ないので、銀行側の見積もりで実現性が乏しいと皆反対し総崩れしていくのですが、このボロ着先生(ほんとに家に帰っていない感じでどうしているのか不思議な先生でした)は違いました。既にスポンサーの確約を取付け、出資と資産売却額をFIXして当初のコミット額を示し、債務の半分以上カットを銀行団に反論させなかったのでした。
しかもおつりが出る計算となり、銀行団の前を素通りさせ別の債権者でない銀行さんの口座を作ってしばらくの運転資金まで確保してしまいました。
銀行の人達も嫌がらせをしているわけではなく、貸倒は税金で賄われる様なものなので上層の承認が厳しいのと自信のキャリアに響くからうるさいだけで内心は早く解放されたいのが本音でしょうから、事前に自身の銀行の決裁スキームや社内常識にマッチした条件を示されたなら、いつまでも長居する必要はなくスムーズに同意のうえ退席という事で去っていったそうです。
「よっ、ボロ着先生おみごとっ」
と言いたいところで、ちょっとだけハプニング。
数日後、社長の会社の人が慌てて「一行だけ保留になってしまいました」。
「日本でも有数の地銀以上に巨大な信用金庫なんですが、天皇みたいな会長さんがいて(権力を延々と握っているらしく)、信金内で決裁されたものが鶴の一声で覆された」との事。
理由は「あいつは嘘つきだから・・・」だそうです。本当はもっともらしい理由があったはずですが、信金の人が要約するとそういう事らしく、進捗が滞ってしまいました。「今どき時代遅れな・・・誰も何も言えない組織なんて与信的には逆に危険な会社だよ、あの信金さん評判落ちるんじゃね?老害だよね」なんて呆れ顔で話していたのですが、そんな大物から恨まれる社長はやっぱりやんちゃと言うか、悪党なのかもしれないなと思うのでした。(⑤につづく)