「あなたの言う事はわかる気もしますが、元顧問だった知合いの弁護士に相談します。」
社長は、まゆ一つ動かさず、私にこう言いました。
そして、悲しそうな顔で話を続けました。
社長:「この部屋は、もともと妻が購入したものなんです。」
そういえば登記簿の共同担保目録欄に、ここよりも上階の部屋を所有していたと思われる履歴がありました。すでに抹消されていたので、関係無いと思い深く調べていませんでした。
社長にそのことを告げると。
社長:「そうなんです。実はここよりも数階上に、私は部屋を持っておりました。以前はそこを抵当に入れて借入れをしていたんです。」
私:「そうだったんですね。」
社長:「でも、仕事上の支出がかさんで資金繰りが詰まる度に現金が必要になり、このままでは倒産すると思い売却を決意しました。そこで当時の借金を清算し、残りの現金で資金繰りを立て直したんです。幸い当時は今よりもこのマンションの売買価格が高かったので助かりました。」
私:「でも今のこの部屋の名義は社長になっていますが。」
社長:「妻が私に売却した形にしてお金を貸してくれたんです。」
私:「つまり払っていない、返していないと・・・。」
社長:「・・・その通り。あのときは何も言わずに応じてくれました。」
私:「社長さんの夢を理解してくれていたんでしょうね。」
社長:「妻はもともと劇団で同窓だったんです。」
私:「いまは喫茶店を経営されている、ということでしょうか?」
余計なことを言ってしまいました。社長の目が一瞬私をにらみ、その後悲しい目に変わりました。
社長:「妻にはもうこれ以上・・・迷惑はかけられない。妻の老後を台無しにしたくない。」
私:「私どもは抵当を設定すると言っても、実行できる権利を得るだけです。最悪、返済が無い場合は抵当権を実行できるという事を社内で伝えて第三者機関に正当性を主張できる様にして経営を安心させたいだけなので、いざ実行する事態になっても法律だからと無情な対応をするつもりはありません。」
社長:「いずれも考えさせてください。」
社長は、私の言葉には反応少なく口を一文字にして交渉を終わらせたのでした。
私:「地雷を踏んじゃったかな・・・。」
よほど、大切な奥様だったんだろうな・・・。
S氏からも大恋愛のすえ今があるとの話を社員の方から聞いたとの話でした。
数日たって、社員の方から社長が思い悩んでいるとの情報が入りました。聞けば、元顧問の弁護士から「絶対、抵当に入れさせてはいけない」と強い警告があったとの事でした。当社の発言は詭弁だと言ったらしいのです。
以前も他の件で言われたことがありました。良くあることで、法的な権利を得たら債権者は豹変するので口車に乗ってはいけない旨を債務者に警告する人は多いものです。
でも、この先生に私はお会いしたこともなく、だいいち顧問料が入らなくなるから外れた先生です、なにが分かるのでしょう?
私は、顧問先が倒産しかかると経歴に傷がつくので顧問をやめる先生を軽蔑していました。
(そんな)先生の話を信じるの?
私自身も悲しくなってしまいました。
さらに社長に不幸が訪れます。
退任した取締役だった社員の一人、Q氏が辞めると言い出し、そして現金を持ち出したというのです。金額は300万円程でしたが、いまの社長にとってはとても痛い事件でした。
そして、さらに数日後、元顧問の先生とはまったく別の弁護士と名乗る人物から私宛に電話連絡が入りました。
D氏:「私は、社長の代理人を務める事になっておりましたE駅前法律事務所の弁護士Dです。」
私 :「務める事になっておりました?」
D氏:「はい、社長は今、某医療機関の集中治療室に入り意識がありません。」
私 :「???、どうしたんですか?」
社長は数日前、会社を出たすぐの階段下で頭から血を流して倒れていて既に意識が無くなっていたそうです。小さな古いビルで階段も急でしたが、十数年も入居している建物なので足を踏む外すのは考えられません。よほどの心労が祟ったのか、それとも自身で命を絶とうとしたのか・・・。
D弁護士は、当初は悪徳債権者と決めつけた印象で私に接してきましたが、これまでのやりとりを聞いてくれて書面などでの証跡から、すぐに私のことを信用してくれました。
はっきりとは言いませんでしたが、「あなたは間違っていなかった。」と励ましてくれました。
とても若い二人組の弁護士事務所で、正義感に燃えた先生たちでした。
社長を惑わせた老獪な元顧問の弁護士先生とは大違いです。
とはいえ結局、社長の演劇の裏方専門集団であったその会社は、代表が重篤となった事でその前に起きた資金盗難事件の影響もあり事業継続が困難となり、元々は我々に担保を提供するかの対応をする話で相談を受けていたD先生たちでしたが、あえなく破産を前提に進める事になりました。
社長の意識は戻らないのですが、破産する選択肢はあった様で、いまのところ無償で引受けている様でした。
S氏からの伝言でしたが、数か月後のとある友人の結婚式に“例の社長の会社の元取締役のQ氏”も出席されていたそうで、披露宴が落ち着いたところで式場の外に呼び出して問いただしたところ「私も役員報酬を長年もらっていなかった、やめる際にもらうのは当然だと話したら社長は理解してくれたんです。でもあんなことになるなんて・・・。」
大声で人目もはばからず泣き出したそうです。
現金がなくなったと聞いていましたが、実は盗難ではなく社長も了承していたとの事でした。とは言え彼を恫喝して不本意な支出をさせたわけですから、D弁護士たちは彼女にも「今回の責任の一端はある」として内容証明を突きつけ大半の返還を求めたところ、後悔していた本人も応じたのでした。
(⑪へつづく)