倒産列伝012~華やかな世界、支えているのは⑪

倒産列伝

 かなりの時間が経ったと思います。

 破産手続が終了し、あの社長の会社は消滅しました。

 あれから、あの社長の意識は戻ったのか、ご夫婦はどうなったのか・・・気がかりではありましたが

裁判所の手続きや債権者集会への出席などは、すべて部下に任せ自分が振返ることはありませんでした。

 というか、確かめる勇気がなかったのです。

 あのとき、もっとこうすれば良かったなどと考えても社長の心情を理解する事や彼がこういう結末になるなんて思いもしなかったので「次はこうしよう」とか、次につながる失敗として前向きに学びようがなかったのです。

 やはり、一番悪いのはこういう事態を招いた社長ご自身となってしまい、そこに引っ張り出された私などが社長の人生を変えられるわけでもなく、どちらかといえばやはり「とばっちり」の被害者に近い存在となり、それでも強いて反省するとすれば、債権者の身でありながら救済をしようと考える事は「とてもおこがましい」ことなのではないか?と思えた事で、切なさのみが残る案件となったのでした。

 社長をあの様な状況に陥れたのは、当社側のええカッコしぃの仕業とも言えますが、この様な者は他の会社にもいたでしょうし、そういう連中の言いなりになってしまい社員を路頭に迷わせた社長の責任は重いと言えましょうが、一方で言いなりにならなかったらどう言う事になっていたか・・・やっぱり社長が乗り越えるしかなかったのです。

 そして全体を見渡すと一番の被害者は奥様だったかもしれません。

 もし最初から与信管理の実務者として私がこの案件に関っていたなら・・・と思うときもありますが、財務内容の悪さや社長の性格を見たら、すぐに取引を抑える様に判断したはずです。

 しかしそうしたなら、社長の会社は早晩に機能停止となったと思います。

 でも実際は、長年培われた社長をはじめとする専門家集団としての実績は大いに評価できたので、それを活かす手を考えなければと思う気持ちが出て、支援しなければ業界全体が沈んでしまうとも考えました。

 こちらにも非があるので仕事を用意してあげて実力を発揮してもらい、彼らが得たその収入の一部を返済に充てるというのは昔からある事だと思います。

 よく昔ながら人情派の貸金業や一般事業会社でも決算書に「営業未収入金」がいつまでも計上されていたりして、聞けば「社長の特命案件」などと伺う事も多いものでした。

 彼らは皆、こういう形でなにかしら窮地に陥ったご縁のある人を救済していたのだと思います。

 はた目には、よく借金取りが債務者をマグロ漁船に乗せて半年間の遠洋漁業の労働収入を返済に充てさせるというのとおんなじです。

 しかし、だいたいこう言う場合の債務者はギャンブルなどに狂った人たちで自業自得の様相ですが、今回の様に真面目にその仕事でしか生活できない人たちを、同じようには考えられません。

 せめて能力を思いっきり発揮してもらいながら借金を返済してもらい、あらたな能力をも身に着ける機会を得てもらうと願い、それを演出できるのは同業者の大企業しかなく、そしてそれを社長に一任される様な感情事としてではなく、与信機能を持つ企業が客観的な情報をもとに意思決定を行った結果としてやりこなし、業界を下支えしている人々を“また、支える”という循環型の経済にできなければいけないのでは?と考える次第でした。

 とはいえ、この考えをすぐに相手(債務者)に理解してもらい信用してもらう事はとても難しく、自社の中で唱えてもやはりサラリーマンには到底理解されず、理解してくれるのは経営の痛みを知っているたたき上げの創業者として苦労してきた経営者の人達だけでした。

 親方日の丸の日本企業には、代表が強権で「あいつを助けろ」と言わなければ、窮地に陥った高い技術で業界を下支えする中小企業など救う事は難しいのかな?と考えるようになり、そして私はどこに向かっているのかな?と考えるきっかけにもなった案件だったのでした。

 私はこの後、この部署に与信管理を根付かせるという取組を行いました。

 自分で編み出した与信管理システム導入の手順を踏み、管理職の方々も定期的にミーティングを開き、部員の教育セミナーも開催し、その機能をこの部署に備え付けるために協力をしてくれました。

 でも、だいたい完了したらみなさんそれで終わるのです。

 すべてが消化仕事になってしまうのです。

 みなさん「あんなことがあったのに」消化仕事で終わらせようとし、のど元過ぎて形を作れば「終わり」にして、気持ちはどこかへ行ってしまいます。

 サラリーマンじゃ仕方ないか、で私も見逃してきました。

 「取組む意義、到達目標とレベル」「いつまでに完了」「いつまでに何をする」という、上層が分かり易いマイルストーンを示し、動態報告重視に見えながら実際は消化仕事という導入“作業”となってしまいました。

 決まったルーティンを比較的短時間で形式を作って見せるのが仕事になったのです。

 感情や感覚で動いてきたこの組織の一人一人が、与信管理と言う共有の価値観で共通のルールや判断基準で会社が取引の濃淡、可否を判断でき第三者にも理解してもらえる仕組みにするのが目的でした。

 とてもつまらない組織になりそうですが「そうならない」様にするには、管理職やベテランの方々から得られる「知恵」が必要で、それを引き出すのが私個人の目的でした。

 結局、あの会社の悲劇をもってして、会社、組織、業界、社会のためにという考えで与信管理を文化として醸成しようと、心底いっしょに考えてくれる人は出てきませんでした。

 「与信管理のシステムが回り始めたら、気楽で無責任な仕事はできなくなるから個別で相談を受けていくのもいいかな?」

 もう少し時間をかけて絶えず関わって進めていきたい、そのためにはまた倒産(貸倒事故)がおきるのが一番いいな?と・・・危険な考えが芽生えるのでした。

 与信管理の考えを醸成し実務を企業・部門の文化として根付かせるには時間がかかるものです。

 (おわり)