与信管理実務者を長年やっておりますと、いろんな経験を致します。
与信管理体制を構築するに、机上の理論を用いて早期に構築し上層の期待に応える事も大事ですが、それよりも経験で学んだことを優先し、じっくり考えてルール化していくのが一番望ましい事だと私は考えております。
それが最も自社の各機関の動きにマッチし、業界の商慣習にも合った防衛策となり、現場にとって無理のない効率的な体制を作ることができ、最善な方法だと考えるからです。
ところが、外部から転じてこられた役員などが、その様な運用体制(あるいは企業文化)の一面を見て大いに違和感を覚える事があるのは無理もありません。そして何等か自分に都合の悪くうつるものだと、“やめさせよう”と圧力をかけてくることもしばしばあります。
そしてそんなとき経験が伴わず、あまり考えもせず惰性でそれを受け継いできた担当者だと、ただでさえ発言力の強い役員など上位権限者に反論ができず、せっかくの独自の優れた防衛策を止めてしまい、忘れた頃に同じ過ちを繰り返してしまう事例も多いのではないかと思います。
「長年、亡霊の様な仕組みが居座るから不効率がはびこる」とか、功を早めたい役員になればなるほど言い出します。
確かにリストラ(事業の再構築)やリエンジニアリングで、もっとも合理的な方法を常に考えていくのは正しい事でしょう。
与信管理者はたいてい「いつ起きるんだ?」と「もし起きたらどうすんだ?」とのはざまで責められるのですが、事故の発生頻度は確率論で定量化しても数%の値しか出ないので説得力が無く、しかし事が起きたときその影響が甚大であった事が過去の記録にあったとしても、それらに関わる因子の存在をうまく言葉で表現するのは難しいので、「また起きるのを待つ」のですが、結局自社とは全く別の意思を持つ取引先という“相手”あっての話なので、なかなか良いタイミングでは起きてくれません。
なので、なんにも起きない間は、なおさら「不効率な企業文化をはびこらせる元凶」とみなされることは無理もないかもしれません。
不謹慎とわかっていながら「あの取引先、潰れないかなぁ」と囁いてみたり、目を付けていた取引先が首の皮一枚残ったと聞いて思わず「惜しかったな」と言ってしまい、営業から「とんでもないヤツ」と誤解を受ける事もありました。
すべては、与信管理体制を盤石にするために悩んだ結果、思わず出た台詞だったのですが・・・。
ということで、この項では「なんでこんな不効率なことをやっているんだ!!」と言われても、頑として制度を止めなかったことで、事故が発生しても会社を守ることができ、実際にその対応の仕方を見せる事で役員に理解してもらい、制度と我々の存在意義を認めさせたお話になります。
蛇足になりますが
太古の巨大津波とおんなじで、その状況を後世に残し、その時代時代に合わせた合理的で効率的な体制で臨める様に、事が起きなくても伝えていければいいのですが、リストラ専門で「そんなの要らない」と紋切型でモノ言う人たちが出てくると、我々のような経験の積み重ねで取組んでいる者にとっては悲しくなるものです。
そういうときは、実際の危機に直面して頂くのが一番ですが、そうもいかない。
またそのような危機を回避するにあたって、集団で意思決定して動くときに、机上の理論や社会のバイアスが理屈で表現できない経験力や直観力の邪魔をします。
一緒に歩んできたプロパーの役員や苦労をしてきた創業者などは感覚的に理解を示してくれるのですが・・・、そうでない人たちが立ちふさがっても意思決定可能な仕組みを作るヒントになったエピソードでもあります。
●「独自の防衛策」
当社(私が当時所属していた会社)は、バブルに踊ったという過去はありません。
逆に成長の軌道に乗ったのがバブルが弾けた後だったので、「不況に強い!!」などともてはやされ、他ではじかれた人材をプロパ人材よりも高い報酬で雇ってしまい、無駄に無駄を重ねた高額投資の失敗も重さなり、年商の三倍あった現金資産が、1~2年であっという間になくなってしまいました。
まさに「銭亀が底をつき」という感じですが、底に穴が開いていたのでしょう、逆に多額の負債を負ってしまい、そのタイミングでマスコミからも、「市場に開示していない問題が山済みな会社」とか、失敗を克服できない「メンテナンス機能の無い会社」などとレッテルを張られ、ちょうどバブル清算期(2000年前後)のタイミングでは倒産の危機と言われる様になってしまっていたのでした。
あの頃は急成長の急拡大で、急激な人不足を補うべく大量採用を行い社員の半分が新入社員となり、過去の反省を知らない実働部隊が多くなってしまったタイミングで、一流銀行や商社、その他上場企業からたくさんの役員が転じてきて、みんなバブルで失った自分の地位を取戻そうと自分が引き立つ新規事業を立ち上げては失敗に失敗を繰り返しておりました。
そして、いよいよ危機の危機として社会的信用の失墜させたあの事件が起きたのでした。
(②につづく)