倒産列伝015~おれもわからん!! 会社更生③

倒産列伝

私 :「残念ながら・・・保全しております。」

 常務が目を見開き「やったー!!」と明るい表情になったのを私は見逃しませんでした。

 すかさず「ヤバい」と思い、すぐに与信管理者として諫言モードに入りました。

私 :「た・だ・し!100%ではありませんよ。これから保険会社と長い話し合いになります。

 おそらく保険会社に保険金支払いを拒否される様なヘマはしていないはずですが、彼らも商売です、いろいろあの手この手で(保険金の支払いを)拒んでくる可能性はあります。また会社更生の管財人は担保物件や債権者の保全行為も否認できる強い権限を持っています。場合によっては我々の保全方針について疑義を投げかけてくる可能性だってあるんですよ。」

 と言いましたが、既に常務は

常務:「いやーよかった、よかった!それって取引信用保険っていうやつだよね。同業他社の役員にも教えてあげなきゃっ。」

私 :「いや・・・だから・・・」

 既に聞く耳など無くなっていました。

 「これまでの彼の精神的不安を考えたら仕方ないかな・・・・。」

 私は保全状況を現場に伝える際に必ず「残念ながら」と冒頭にそえたものです。

 なぜならば、こう言う浮かれモードになるからです。

 保全が効いていると分かった時点でどんな事故でも、いわゆる“無かったこと”になって、みんなの頭にアドレナリンが噴き出し貸倒れた反省など、どこかに行ってしまう副反応が起きるのです。

 案の定、常務の口からは「A社への依存度は全体の数パーセントなんだから、たいして影響はないっ!!」などと、強気に社内向けの言葉も出てきました。

 他の事業責任者である役員やグループトップから心配する声が多く出ていたので、政治的な発信も必要だったのでしょう。

 いろいろグループ内の役員間ではパワーゲームが繰り返され出世のライバル同士で足を引っ張りあっているでしょうし、それはそれで対処が大変でやはり突然やってくる貸倒というのは何かと厄介なものだな、と思ったのですが同時に

 「そうはいっても数パーセントの依存度とはいえ年間10億円は超える売上先だったのだし、A社への依存度はけっして小さいものとは言えないのになぁ。これからA社に売ろうとしていた新製品が完成して上がってきたらそれら在庫はどうやってさばくのだろう?

 たくさんの商品を買受できる、全国に大型店舗を多数持つ様な、当社の歴史と同じくらいの時間をかけて、先人たちが育ててきた取引先でもあるし・・・今期の早いうちにまったくの0からA社同等の取引先を育てあげるなんて無理だと思うけど。

 販売担当者はどうするのかな?

 A社が存続する前提の、高いノルマだけ残ってしまうので何かでその穴埋めしないといけないはず。

 でもかなり難しいと思うけど・・・。」

 と、心の中でそんな思いを巡らしながら当時A社の担当だったK君が気の毒になったのでした。

 「2億円以上の不良債権が、実は保全されていた!!」

 確信ある情報として常務から共有されて以降、経営の上層部やほかの事業部、グループ各社の面々から注目を浴びる事になりました。

 聞けば、与信マインドの低い内外の事業部から「貸倒れてしまった」という暗い報告が連続していたタイミングで、この全額保全できていたと言う情報が一段と光を放った様で、とりわけ当時の社長には明るい報告として喜んでくれた様でした。

 後から役員会に出席していた同僚から

 当時の社長が「戦闘能力が極めて高い!!」と私の事を絶賛してくれたと聞きました。

 これまでグループの中で私の構築した与信管理体制は「しっかり運用している」と評価される反面、悪く言うと「厳しすぎる」と批判される事も多かったのですが、ついに今回の事件で目に見えて高額な不良債権を瞬時に取り戻している事が分かった事で、おおいに機能を果たしていると証明されたわけで、私としても周りから我々与信管理のユニット(チーム)を大いに評価してもらい悪い気はしなかったのでした。

 でもこれらは、長年自分が積み上げてきた理論から成り立っていて、それによれば高額であろうが少額であろうが保全が適う鉄壁の防御システムだと言っても過言ではありませんでしたから、自分としてはそんなに驚く事でもなく当たり前に機能しただけなのですが、周りが喜んでくれたのであればそれはそれでも良かったと思うのだけれども、ひねくれた言い方をすればこういう大きな事故をきっかけとしないと注目されない事は、逆に残念に思う次第で、与信管理の真髄は取引先の倒産を予測し競馬や宝くじの様に「当たった」「当たらなかった」のギャンブル的な感覚で「的中させ回収してなんぼ」の仕事ではなく、「一朝一夕には崩れないどんな不良債権でもはじく防衛装置の構築からメンテナンスまでを行う仕事だ」という事を理解して頂くべきであり、「まだまだ認知を得るに足りない」と考え、ある意味、目を向けてもらい理解して頂くチャンスだと思うきっかけでもあったのでした。

 さて自分の事の思い出はさておき、A社の会社更生申立が受理され開始決定が下り、保全処分そして更生管財人が裁判所に選任されたという通知が当社にも届きました。

 そして朝早くに初夏の様相が目立ち始めたA社がある南国を再び訪れたのですが、今回は会社更生の第一回目債権者説明会の開催に出席するためでした。

 地元の大きなホテルだったか公会堂の様な公共の会議場だったか忘れましたが、とても広い会場で白い柱や頭上に大きな照明やシャンデリアがあった記憶です。おそらく結婚式場にも使われる場所だったかと思いますが、管財人に伺ったら本来ここで入社説明会が行われる予定だったとの事でした。

 大きな会社の倒産事件では、入社説明会や入社式に使われる会場が債権者説明会になるという実に皮肉なことに使われるのはよくある事でした。

 管財人としても倒産したからドタキャンしたいですが会場側としては返金に応じる可能性は少ないでしょうから、仕方なく期日だけ先のばし変更して開催と言った感じになるのですが、晴れやかな場所や既に新入社員を歓迎する飾りつけなどがある場所が、怒号が飛び交う債権者説明会になるのはなんとも言えない悲しいものになるのでした。

 横道に逸れますが、

 新聞やニュースで債権者説明会の事を債権者集会と報じられることがあります。

 実はこの使い方は間違いで、「説明会」は倒産直後や途中報告など債権者に説明する場、「集会」はいわゆる倒産の賛否を債権者に問う審判の場という使い方が正解です、前者は一般の宴会場などで、後者は厳粛な裁判所の一室で行われるのが普通なのでお聞き分けして頂くとよいかと思います。

 結構、信頼あるメディアでも間違って報じる事も多く見られます。

 話を戻すと

 私が到着した時には地方にしてはたくさんの債権者の方々がすでに着席しガヤガヤしていました。

 数100人はいたのだろうと思います。

 私は真ん中付近の真ん中通路の辺りに座り周りを見回したところ、会場の最後部を見て驚きました。

 三脚で立つ中継用テレビカメラが数台陣取り、写真カメラマンたちがずらりと並んでいたからです。

 地方では有名な方とおぼしき女性アナウンサーの姿も見られ、マイクを手にもって控えていました。

 あらためて地元における、この事件の大きさが伝わってきのでした。

 確かにこの大きな会場を埋めるほど、たくさんの新入社員となる若者が入社を心待ちにしていたのでしょうし、上場企業ですからバブル後の不況による就職難を考えますと希望の光であったでしょう。

 それだけ倒産による地元の人々の落胆ぶりは大きなものであったかと思います。

 場内に始まりを告げるアナウンスが入り、先頭にE管財人、続いて元社長のA氏、そして常置代理人の弁護士(現場専任で債権者の対応をする先生)、会計士、社労士などこれから更生に関わる方々がずらりと並んで入場してきました。

(④につづく)