R社の面々については後ろの座席から見ていても、壇上の人たちを敵とみなし、憎しみを込めてにらみつける様な態度であるのが伺えました。
全員が同じような濃紺のスーツに青っぽいネクタイを締め、A氏に負けないくらいの短髪オールバック姿でした。
後から聞けば、彼らの不良債権は1億数千万円とのこと。
R社も数千億の年商がありましたが、メーカーの貸倒としては財務面から大きい額かと思います。
とは言っても当社の貸倒の半分くらいです。
申立当日から、申立代理人や保全管理人(のちの更生管財人E先生)に頻繁に電話を仕掛けてきて私の訪れた翌日には数人で現地に押しかけ、ひたすら「金返せ」と〇〇の一つ覚えの様に繰返し、先生方の話には耳を傾けようともせず、通り一辺倒な態度で大いに困らせていたとの事でした。
どうやらR社は保全をしていなかったようです。
それだと怒り心頭なのは理解できるし、R社の創業者やトップの方々の怒りもすさまじいでしょうから、そりゃ彼らも必至だろうなと思ったのですが・・・
「あれ?おかしいな。」
私は違和感を感じたのでした。
「R社って与信管理はかなり前にやめて、すべての取引を前金制に変えたんじゃなかったっけ?」
これも後から聞いた話ですが、A社の様な大手企業には掛売(かけうり=掛取引:かけとりひき)の特別対応を行っており与信枠も用意されていたとの事でした。
それを知ってむしろ私は、彼らの一貫性のない与信管理ポリシーに憤りを感じたのでした。
そもそも私は、与信管理が絶対的に必要となる与信枠取引(いわゆる掛取引)とは、資金に余裕のあるメーカーが取引先(主に中小企業や将来性のある成長企業)に対し期限の利益(つまり契約で締め支払い日を設けて取引先の財務活動に時間的猶予)を“与え、自由な資金調達手段の選択が出来る機会を与え”自力成長を促すものでなければならない、と考えていました。
そうしなければ、施設経営者は高額にも関わらずヒットするか否か分からない設備(AM機器)を先行して導入はできませんし、先に利益分まで搾取されると成長などあり得なくなります。
ヒットする商品と言うのは過去の傾向で言うと全体の1割しか出てきません。
そのヒットしたときの収益で儲け倒し、9割の儲けられなかった先行投資分の元を取る収益構造になっていると言っても過言ではない宿命的な環境なのです。
頼りの金融機関にはリスクが大きく貸倒の懸念が高くなるので、そういう業界にはおっかなびっくりだったり、金利を高くされたり、メガバンクなどはポリシーとして水物(鮮度に関わるもの)を扱う風俗営業にハナから付き合わないというところもありましたから、ライバルに負けない様に先行投資を繰り返し、お客様に飽きられない施設を維持するには、すこしでも自己資金(自己資本)を維持し余力を残して資金の運用機会を残しておくことが必要なのです。
そして財務会計的構造として損金として認められ節税に大きく味方する、高い価格でも儲けなかった機械たちの減価償却費が、なんとか財務バランスを維持していくというものになっていましたから、だからこそメーカーとしては取引先が経営を継続していくためには、世に出す作品が1割以上の確率でヒットする様にしなければいけないプレッシャーを自らにかけて業界維持のために創作に励まなければいけなかったのです。
しかもそれは絶対であり、ひと時も休むことは許されないものでもありました。
だからこそ、それらの責務の一端で債権リスクを負担する必要があり、そのうえで与信管理制度が必要だったのです。
しかしR社は当時、すべての商品購入に前金制を敷くことで、与信管理を放棄し「買いたい」業者にはどこにでも売るというシンプルなポリシーを掲げました。
「買いたければ先にお金を用意しなさい」というわけです。
しかしそれは、「良い物が必ずできて来る」という約束に値する言葉になるのですが、先ほどの様にやっぱり商品力のあるR社すらもどんなに頑張ってもヒットは1割程度に留まるのです。
それは何らかの市場経済の法則や消費者の行動科学やらが関係しているのかもしれません。
そして残念ながらR社が発売するものほとんどが駄作となり、ただ前金により作品の開発資金と取引先の利益を先取りし搾取したに過ぎず、ヒットすると宣伝しておいてダメだった場合は詐取となじられても過言ではないものの優越的な立場の圧力から皆、押し黙ってしまっていたのです。
R社のトップは怖い人として有名でしたから、よほどでないと非難できない権威がありました。
R社にとっては、与信管理の必要が無く開発資金も先行して取れたので駄作を作ってしまっても市場の制裁を受けにくく債権リスクの負担も少なく、その場はとても良かったのでしょうが、足元でR社寄りで支えとなっていた末端の取引企業の財務状況については非常に弱体化を招き求心力低下も招いてしまっていたのでした。
こんなやりかたの搾取ビジネスでは業界や我が国独特の文化の発展はあり得ない、上に立つリーダ企業が与信リスクを負担してこそ実現できる、と私は信じていたのです。
また前金だと誰にでも売るということも問題でした。
業界内で実績があったり、ただでさえヤクザな商売でしたからモラルだけではなくエシカルな思想を持たなければやっていけません。
上場して株価維持のために高額な新商品を次々と出してくるメーカーに、着いていくのは大変な事ですが、ポッと出てきてたまたまお金を持っている者に、長年苦しい思いをして着いてきてくれた取引先を差し置いて商品を販売してしまうのは、着いていく業者にとっては求心力や士気を落とし心折られる行為かと思います。
与信管理を行う前提としては、厳しい売買基本契約を締結します。その中には支払条件、与信枠の額、保証行為、供与担保の種類などなどその時の相手方の内容や置かれた環境により、あらゆる約束事が明記され、破った場合のペナルティもたくさん明記されます。それを乗り越えて「ともに長く取引を続けていきましょう」と言う意味で取り交わすものだと考えます。
そのうえで日々の与信管理が行われ、取引先の実績が増えたら再調査した結果で与信枠の増枠や条件緩和への見直しなどが行われ、数字だけではない信用の面での成長を実感して頂けるものです。
R社は、おそらく取引先に与信枠の増額のための運営や継続管理(モニタリング)などしていなかったのでしょう。それもそのはず、すべて前金制なのですから。
そこにきてA社の様な中途半端な与信枠取引(掛取引)の先が存在したと聞くと、単に大手の取引先を優遇している事にしかすぎず、しかもその大手は自身が成長に関わったわけでも何でもなく、ただただ受身に評価し上澄みを頂くだけの寄生的な思想なっていたとしか想像できなかったのでした。
そしてA社が経営破綻となると、相手の話も聞かず「金返せ」の一点張り・・・怖い企業です。
法律の勉強をして実務に携わる法務部の社員たちに、弁護士にむかってその様な猪突な態度で鬼気迫る債権回収に取組ませるのですから、法よりも、人の命よりも優先する怖い何かが存在する会社だと感じるのでした。
「そんなであってはいけない!!」
と言いたかったのですが、そんな当社にも市場戦略に対する課題は山積でした。
商品の高額化を改善できなかったのです。
出すもの出すもの価格が高くなりすぎました。
会社も上場し、安定志向になったので原材料費、宣伝費そして人件費、特に開発要員の人件費や売れなさそうだと余計に宣伝費もかかり、さらには口先八兆で派生ビジネスを立ち上げる連中もいたものですから、販売価格の高額化≒与信枠の高額化≒債権リスクの高額化を招き、結果、ヒットしないとなればR社を非難する資格はなくなってしまっていたかもしれません。
自社が一番か、業界の事を考えているか思想の違いはありましたが、逆に社員(特に開発層)の思想が“自分”が一番となり、むしろ当社の方が山師的で烏合の衆になっていたのかもしれません。
(⑥へつづく)