倒産列伝015~おれもわからん!! 会社更生⑥

倒産列伝

 そんな会社の中の思想が、社員同士でちぐはぐになっている状況で良いもの(商品)が出るはずもありません。

 当社が充実し急成長していたときを知っている私には、実に深刻かつ残念でならない病に陥っていると映るのでした。

 そして次第に私は、自社を防衛する事が第一の責務として気持ちを奮い立たせながらも、与信管理実務者として培った能力を使って「業界(あるいは社会)に対し、なにかできる事はないだろうか・・・」と考える様になったのでした。

 それは自分の今の仕事に対するモチベーション維持の目的もありましたが、社会との関り方やこれから歩むべき将来も考える様になってきていたという事でした。

 昇華とでもいうのでしょうか・・・。

 具体的にまずは、お世話になった取引先が円滑に倒産手続を進められたり、再生となれば支援の手を差し伸べられる事にとりかかろうと考える様になったのでした。

 さて、説明会の話に戻ります。

 債権者からの質問後、一通りの手続と進行における説明が終わり、続けて更生手続の計画策定までに設けられる調査期間についての説明に移りました。

 その間、“更生に必要な取引先”に対しては今回の債権者であった場合でも、“必要”の内容と程度によって、特に少額の債権者だったら全額または一定額が弁済されること、申立後の取引は現金(前金)で行われることなどが説明されました。

 これらについては債権者のみなさん、真剣に聞き入っていました。

 でも感覚的にはだいぶ難しいので、大半の参加者は理解できずキョトンとした顔も多くいます。

 そして債権者は優先順位ごとに分類されるとの説明。

 もちろん「税金」と「労働債権(未払給与)」は優先債権として、その後に「一般更生債権者」が続いていきます。

 一般更生債権者の中には、すぐには判明しない「別除権者も含まれる」と断りが入ります。

 これまた、みなさんキョトンとします。

 法律上適正な手続きで債権債務者両者が事前に承諾を得て設定した担保権を持つ者達のことです。

 たいていが銀行の債権者です。

 銀行は、企業の成長を促すために資金調達の蛇口として必要な存在ですが世間体を気にします。

 「厳しい審査や調査を行い、嫌われるギトギトな質問を繰返しながらも内心は貸手の成長を願う熱血バンカー」として債権リスクとリピテーションリスクを背負うよりも、「比較的スマートかつ上品で嫌われない、そして確実に保全策がとれ受けもいい」うわべだけの方法を求めてきます。

 長期借入を行う場合は不動産や有価証券、預金、代表者の連帯保証を裏付けとした個人資産(これもまた個人所有の不動産、有価証券、預金、現金)などの物的担保の差入れがそれらにあたります。

 財務内容やコンプライアンス面の審査を問題なくパスした場合でも、とりあえず「将来何かあった時」的な感じで「形式的なものですから」のダメ押しで担保設定を求めてきます。

 つまりモニタリング(貸付後の定点監視)は、適当で担保頼みと言っているようなものです。

 設定する種類には、極度額(だいたいその時に設定された融資の上限≒与信枠)のある根抵当(極度額を上限に借りたり返したりできる融資条件用の担保)や、抵当(借入れた金額を上限に残高の保全にのみ対応する)の2種類が一般的です。

 配られた資料を見ると監査役や経理担当を送り込んでいた銀行も、融資額のほぼ満額が設定されていました。

 とは言っても、だいたい後からわかるのですが、そういって設定された物的担保、特に不動産なんて時価を見るとみな過剰評価で設定してありますから現在価値を大きく上回る設定がなされ、いわゆる担保割れとなっていて1位抵当でも担保割れ(担保不足)するようなありさまもあって、まさに文字通りの「形式的」な事になっているのも多く、まさにここもそんな感じとなっていました。

 こんな情けない事になるのは、バブルの清算期に担保不動産を時価評価して「その不足分を返済しろ」と迫ったら借手から「貸し剥がしだ!!」と責められた社会問題化した過去もありましたし、そうなるとサラリーマンとしては誰だって嫌われるのはイヤですから、仕方ない事でもありますが・・・。

 だから更生管財人も、「わざわざ争わずとも、私が別除権を認めたんだから、あとはそっち(銀行同士)でやってね。適当に処分してね」と言う意地悪なスタンスだったのだと思います。

  

 さて説明がしばらく続くと、新聞記者などがヤジっぽく「わかり易く説明しろ!!」と叫んだり、大手金融機関などが「世間に対して自分らは悪くない」ことをアピールする様な「A氏にまったく、だまされたのだ!!」とか、目的がそれぞれのマイクパフォーマンスとなってきたところで、一人の老齢なご婦人が挙手されました。

 隣には夫と思しき、老紳士が静かに座っていました。

 管財人に当てられると、よろよろと立ち上がり、そして弱々しくマイクを通して震える手で力を振りしぼるように声をあげました。

老婦人:「私どもは夫婦で長年、A社の営業拠点の内装を請け負っていた者です。」

    「これまでA社長には地元に近い物件などの新規オープンやリニューアルの時はお仕事を頂

     き、大変お世話になってきました。」

 私はA氏を見ましたが、相変わらず天を見つめ、動く気配もありません。

老婦人:「今回も内装工事のお話を頂いて、春から仕事にとりかかり施工を進めていたところにこの様

     なことになりました。法律の知識が無いので申し訳ないのですが、内装の工事を順次進める

     にあたって私ら夫婦は材料もすべて先に仕入れてしまっています。」

 更生管財人のE先生は「うんうん」とうなずかれて聞いています。

老婦人:「その仕入れた材料だけで5000万円。仕入元には先に支払いをしなければならないのです

     が、この分は払ってもらえるのでしょうか・・・?」

 私はこの発言を聞いたときに、周囲を見渡してみました。

 自分には関係ないか、自分の債権のみ気になるのか、他人の発言など聞いていない無表情な顔がほとんどでしたが、中にはニヤっとする顔、思わずクスクスと肩を揺らす者もいました。

 法的整理の事を分かっている者であれば、まったくわかり切った質問でした。

 そして知らない人をあざ笑い見下す本性を、無意識に出しているのでした。

 マイクを持ち上げた更生管財人のE先生が口を開きました。

E先生:「それは・・・一般更生債権となります。」

老婦人:「つまり、それは返ってくるのでしょうか?」

E先生:「今の状況で、お戻しする事は保証できません。むしろ全額帰ってこない事の確率が高いとお

     考えください。」

老婦人:「5000万円もの大金です。私達で頑張ってきた老後の資金をもってしても払えない金額で

     このままでは会社を潰さざるを得ません。職人にも給料を払えておりませんし。

     ・・・だめなのでしょうか?」

E先生:「そうなりますね・・・。」

老婦人:「・・・このままでは、私たちは死ぬしかありません。」

 老婦人はマイクを手放し崩れる様に着席しました。

 後ろから見ておりましたが、私からそのご夫婦が机の下で手を握り合っているのが見えるのでした。

 お二人のその握り合った手が、震えが大きくなっているのが見て取れたのでした。

 E先生は、この場で一般債権者にどのくらいの弁済ができるか等、更生計画を立案し裁判所の許可と最終的には債権者や支援者を含む関係人の多数決によるジャッジメントが無いと、迂闊なことは言えなかったのだと思いますし、法的整理には債権者平等の原則と言うのがありますので、その平等であるべき債権者が見守る中で、原資の目算も無く「特別にあなた方は、かわいそうだから検討してみましょう」と希望を持たせる言葉を返すわけにはいかないのです。

 更生管財人として冷徹にふるまうしかなかったのだと思います。

E先生:「再度申上げますが、現状で弁済額を申し上げる事はできません。また更生計画により弁済が

     開始できる時期というのも今の段階では申し上げられません。したがって、通常の一般債権

     ということだと、戻ってこないと考えて頂いたほうがよろしいかと思います。」

 その夫婦は、E先生よりも少しだけ年上の方々の様に見えました。でも年代がほぼ同じなのでE先生も哀れに思われたかもしれませんが、表情も変えずに冷たく、抑揚も無く話して突き放したのでした。

 彼ら二人はそれを聞いた後、無言で席を立ちあがり、その場を退席するために出口へと向かい始めました。老婦人はまだしも、夫の方は歩くのが精いっぱいと言う感じで、二人とも青白い顔でその場を立ち去ったのでした。

 法的整理は、情報の開示制度や債権者平等と言う点では社会統制が保たれ安心できる制度ですが、一律ぶった切る杓子定規な性格もあり、必ずしも弱者を救済する制度とは言えず不条理で理不尽な面もありました。

 でも私は、公の場で「死ぬ」なんて言葉を発して早まってはいけない、と心の中で叫びました。

 人情厚いA氏でしたから、この老後夫婦には目を掛けて仕事を投げてあげていたのでしょう。

 今回の倒産で、それが大きく仇となってしまいました。

 私は再びA氏を見ましたが、さきほどと同様、動かずに天を見つめたまんま。

 そうせざるを得なかったと思います。

 去って行く老夫婦の後ろ姿に向かって「全額ではないにせよ、必ずいくらか返ってきますよ。更生計画が発表されるまで早まってはなりませんよ。」と、心の声を投げかけ、せめて早まらぬ様に誰かが手を差し伸べてあげる事を願うのでした。

 その後の集会や説明会で、あの老夫婦の姿を見かける事は無く、この場面はいつまでも心に残るのでした。

(⑦へつづく)