倒産列伝015~おれもわからん!! 会社更生⑨

倒産列伝

 

 まず私は、「ご提案したい事がある」というフレーズでE先生にメールをお送りしてみました。

 そして「詳細の説明を行いたい」という事で現地に向かう手はずを整え、E先生へ訪問日時のアポイントを取らせて頂きました。

 先生が指定された場所は、A社の事務所ではなくE先生の法律事務所でありました。

 会社更生の管財人と言うのは、前にも述べたかもしれませんが「なりたい」と挙手したところでなれるものではありません。

 裁判所から、専門性・経験・実績をもとに選任されるものです。

 やはり、そういう声のかかる人物ですから地元でそれなりに名の通った先生ってことになるのでしょう。日本の端にある地方都市で、上場企業でかつ会社更生の管財人を任せられる地元の人材と言うのはそうそういません。

 だから過去、地元で起きた大きな事件を経験している人物という事になります。

 アポイントが取れたのは、訪問日の夕方でした。

 駐車場と空き地が連なる、典型的な地方の見通しの良いというか開けた地域で、ところどころに住宅とか簡易建物の美容室や外来専門医院(町医者のクリニック)などが建っていて、E先生の事務所は居並ぶ同じ様な簡易建物の二階にありました。

 一階は何の商売をされていたか記憶にありませんが、二階にはもう一軒の法律事務所があり、E先生の事務所は奥の方にありました。地方の簡易建物で内装も質素とは言え、東京で個人事務所を営む先生らの事務所よりは応接室も多く、面積も広かったかと思います。

 待合室には2組ほどのグループが待っていました。窓にかかるレースのカーテンの隙間より西日が差し込んできて眩しく、待合室が空く時間まで長く待たされて閉所近くの時間になってようやく中に通して頂きました。

 おそらく事務所内の職員や他の弁護士が帰宅するのを見計らっていた感じもありました。

E先生:「いや~、お待たせしましたね。」

 私は、待たされてしまったので多少不機嫌になり軽く会釈をする程度で挨拶を致しました。

 そういう表情を見たからなのか、先生は開口一番

E先生:「あなたのご提案の内容、確認させて頂きましたよ。御社があの様な提案をされてくるなんてびっくりしました。同時に非常に感銘を受けましてね・・・・。」

私  :「それは、とても光栄です・・・。」

E先生:「以前初めてお会いした時に少し触れましたが、十年ほど前にあった県内で起きた大型レジャー施設の会社更生事件についてご存じかな?」

私  :「はい、国も関わった大型シーサイドリゾート構想で世界的にも有名な音楽アーティストを宣伝に使い、大々的にオープンさせたあのレジャー施設の破綻事件のことですよね?」

E先生:「そうそう、あの頃の私は更生管財人の現地における補佐を任された常置代理人の命を受けまして、債権者の対応に追われとったんですわ。」

私  :「総費用2000~3000億円とも言われ公共も関わったバブル後期の負の遺産で、負債総額も4000億円に届く勢いで、全国で見ても過去最悪レベルの事件であった記憶です。」

E先生:「やっぱりお詳しいね。そいではその時、御社も債権者として関わっておられたのをご存じですか?」

私  :「当時の私は役職が無かったので会社のネガティヴな情報は詳しく知らされなかったのと、その不良債権の回収は別部署が担当でしたので、承知はしていても関わることはありませんでした。」

E先生:「私はね・・・申し訳ないんですけども、あの時の御社の債権回収に対する姿勢には大いなる憤りを感じていましてね。未だに根に持っとるとです。このお話を頂くまで実は・・・御社に対する印象は非常に悪かったとです。」

 私はE先生のおっしゃることはよく理解できました。

 あの頃、当社を牛耳っていたのはイケイケなバブル景気が弾けて、なおもその頃の謳歌を忘れられず、タイミングよく成長著しい当社でもう一旗揚げようと鞍替えしてきた連中でした。

 特に店舗部門に関わる不良債権を取扱う部署は、それなりに不動産取引や金融知識、そして経験が問われる世界だったので、名うての金融機関や消費者金融で「修羅場をくぐってきた」というベテランの人達が経営から請われて上級管理職として採用され、経験の無い当社生え抜きのプロパーであった若者たちを、育成と言う名のもとに良い様にこき使う図式になっていたのでした。

 なので、彼らに盲目に付き従う者や不満を抱きながらも自身のスキルやキャリアアップのために我慢している者もありましたが、彼らが直接支配した部署は旧日本軍みたいに「服従は絶対」と言う文化が出来上がっていて、さらには理不尽な人事異動がまかり通っていたのでした。

 

 そして、急成長企業だったので専門事業の専門家であっても法や不動産、金融にはド素人のプロパー役職者たちが、市場に請われるまま出店していましたので交渉内容は甘く、潜在的な不良債権がジワジワと膨らんでいて、債権回収のプロ集団として彼らはグループのトップの信頼と期待を得て、またその勢いで監査業務や人事、経理などにも息のかかった中堅を管理の要職として送り込み、影響力を拡大していたのでした。

 まさに会社の裏勢力といっても過言ではなく、彼らは部門内の絶対服従文化と権勢拡大の勢いを捩り、首領である事業部長の頭文字Kを冠して「K軍団」と称し、グループ内の事業を超えて声を轟かせていたのでした。

 当時の私の上司もこの軍団の出身でしたが、穏やかな性格ながらも、あの雰囲気には反感を抱いていたらしく、同様の考え方を持つ方々とセットで私のいる販売部門の管理職として体よく送り込まれてきた人でありました。

 軍団長は、私の居た販売部門にも権威を揮える影響力を持とうと、野心を持っている事は明らかでしたが、販売部門は当社の創業当時から世界市場のトップで勝ち続けていたコアな強みそのものの部門であり、対外的に強気に出れるうえ交渉力も長けていて、リスクヘッジの駆け引きについては他の老舗上場企業からも高い評価を受けるほどで、債権回収と言うよりも事前に予防線を張る「与信管理」に力を入れる文化が強く、軍団長も距離を置きながらの様子見先として、気に入らない部下をピンっと飛ばす先として扱っていたので、私も「毒」の影響は少なかったのでした。

 それで「毒」と触れましたが、上司と共に異動してきた方々に聞いたところ、軍団は債権回収の知識はあっても実はあまり実務能力は無いとのことで、しかし経営にはうまくごまかしながらプロパー役員の失敗交渉をあえて見逃し、不良債権になるまで待って表面化したら面倒くさそうに「恩着せがましく」回収するそぶりを見せて、その実務は無駄で形だけの仕事を若者たちに押し付け、迎合するプロパー役員たちも自分の失態を隠してくれていると「崇める」図式になり、さらには不正ともいえるグレーな案件もちらほら見え隠れする有様になってきて、それに気づいた若手がいると順に飲み屋に誘い日本酒と塩だけの強烈なアルハラで追い込み、「空気」を受入なければ、本人の居なくなった席で飛ばす(異動させる)話をあじめる、とういうものでした。

 なので迎合した者や、そうでなくても飲み潰れて受入れざるを得なかった者達は皆、仕事のスキルはあがらず、居酒屋で安い日本酒をのんだくれて愚痴るだけの、生産性のないサラリーマンとしてどんどん育成され、向上心など微塵も無くなるほど骨抜きにされるか、或いは開き直って上司の悪事に加担し、いわゆる「きん〇まを掴み合う」関係を気づいた者が「見込みのあるやつ」として不自然に出世するという図式が出来上がってしまっていたのでした。

 別の事業から畏怖の念をもって見ていた私も、そんな実情を聞いてから「とんでもない組織だ」と思う様になったのでしたが、E先生はもっと遠いところから、この集団の悪な匂いに気づいていて憂い憎んでいた様なのでした。

 と言うのも、軍団の債権回収のやり方と言うのは「とにかく資産を引き揚げろ!!」というものでした。

 取引先が倒産する情報を掴んだら、裁判所より財産の保全命令が発令されるかしないかのタイミングで一挙に押しかけ貸与している資産(ここではアミューズメントマシン)を引上げるというものでした。

 これはバブル期にさかのぼると特に珍しいやり方ではありません。

 バブル期の倒産現場では、代金の代わりに資産を有無を言わさず引上げて、それから交渉と言う手が普通でした。

 ましてや、貸与資産なら信用の無くなった倒産企業から引き上げるのは当然です。

 保全命令が発令されるまでにわずかな無法状態ができるので、反社会的勢力も入り乱れる修羅場と化すのが当たり前だったのです。

 私もそれが最善の手段だと思っておりました。

 しかしE先生が携わった大型倒産事件は、既にバブルは弾け国家全体が疲弊する時代が到来し、時の流れとともに「弱者への配慮も必要」という世論が出てきた時期に差掛かっていた時の事でした。

 この事件に直面した、かの当社で権勢を広めていた軍団は、バブル期をもう一度謳歌したい一心で飲んだくれてばかりだったせいか、時代の変化を見ておらず、若手を使って閉館間近のリゾート施設に押し入り機械を引上げ、売上金も根こそぎ持ち帰ってしまったとのことでした。

 そして、E先生の再三の返還要請にもかかわらず、返す刀で「残りの焦げ付いた(貸倒となった)債権を返せ!!」と繰り返したとのことでした。

 なんせ軍団の現場にいたリーダーは当然に実務意識に乏しく、いわゆる兵隊で上の指示以外には動かないという姿勢を貫いて、管財人たちを閉口させたそうなのです。

 現在では、この様な債権者の態度は裁判所の心証も悪く「窃盗罪」として扱われます。

 ちなみによく現場において「返してくれるまで帰らねぇ!!」と言う人もいますが、これは監禁罪に問われます。

 行った人が問われますので、兵隊として現場でそれを行った若者が警察に連れていかれるわけです。

 対外的に会社の評判を落とすうえ、ヤクザなヤカラとして現場の人たちは反社会的とも見られます。

 ましてや将来のある若手が、無知でのんだくれの私欲満載な上司達に振り回され犯罪リスクを負わされるのです。

 話を聞いて、私もあきれ返るばかりでした。

 そのくせに、軍団のNo2などは、グループ内で事業を跨ぐ倒産事件が起き、最も債権が多かった私の部署が合同会議を仕切らざるを得ない状況になった時、私に対して「法的整理について定義や進行プロセスについて説明せよ!」などと実務的にどうするかを話し合う場で、学者風な態度でまくしたてグループ内にアピールしていたのでした。

 つまり、彼らがやってきた事はプロパー役員や交渉役の脇の甘い交渉を気づいておきながらあえて見逃し、貸付金や保証金などが不良債権化するまで温めておき、いざ事件となったら反社まがいな引上げ行為を行い、会社には「汗をかいてますよ」とアピールし、同職種の別事業の仲間にも専門知識はお前らよりも豊富とばかりに威圧する集団だったのです。

 その結果、自分の見せ場だけを演出して人材の育成を怠り、そればかりか豚箱に入るようなリスクも負わせ、会社の評判も落とし続け、私腹を肥やすグレーな不正行為も聞こえてくるほど、まさに会社の土台と屋台骨を時間をかけて食いつぶすシロアリの様な存在になってしまっていたのでした。

(⑩へつづく)