E先生:「私だけでなく、司法(裁判所)も彼らの態度には良い印象をもっちょりませんでした。」
それを聞いて私は、彼ら軍団の残念な行動に対して会社の評判と信頼を回復するためにアレを提案したわけではありませんでしたし、彼らが何をしようが特に気に掛ける事も無く今日まで過ごしてきたことに気づかされました。
しかし世間は同じ法人名を名乗り評判を落とす連中がどこかにいれば、自分も残念な評価になるわけです。
記憶を辿りますと強引な引上げなどの行為は、司法や管財人に対して逆らうものですが、そのスレスレを行う事で、成功したら武勇伝となっていた様に思います。
パワハラなど当たり前の時代です。
私も、K軍団長をこよなく尊敬している別部署(私やK軍団とはこれまた別事業部)の部長から別の破産案件で彼らに引上げ業務が発生した時に、
私:「破産管財人が財源を確保する必要があるため、わざわざ会社が司法の心証を落としてしまう様な強引な引上げはしない方が良い。」
と提言しましたが「お前が、財源なんのと破産の知識もないくせに偉そうなことを言ってるんじゃねぇよ!!」と若い私の意見を断ち、知識レベルも低いと決めつけ強引な引上げを敢行したのでした。
でも結局引上げても、その商品は自社の在庫に戻るだけで転売しない限りはお金には戻りません。
その部署の若手がリスクをしょって、貴重な時間を費やして引上げてきても貸倒れた債権を取り戻すことはほとんどできていないのに、ヤクザな部長の武勇伝だけが社内あちこちこだまする時代でもあったのです。
この部長、気に入らない部下は何かにつけ「お前は使えない!!今すぐこの窓から飛び降りろ!!」などと威圧し精神を病むまで追い詰めて辞めさせる、今ではパワハラ上司の典型ともいえる人物でした。
時代が時代だったので、法スレスレを凌いで武勇伝と評価される子供じみた精神論やパワハラなどが実態として容認されていたのは仕方ないとはいえ、私としてはこういう連中が蔓延る社内はあるべきでない悔しい環境であり、会社の社会的評価を上げて風格を見せる、もっとスマートかつ低労力な回収法を研究する動機になっていたのでした。
E先生は、当時の軍団のやり方に憤りを覚えながらも数千億円からなる負債総額の処理の中では、まともに相手する余裕などなく、もちろん彼らの悪態に法的対処する術はあったものの、やむなく見逃すしかなかった旨を打ち明けられました。
おそらく、当時のE先生の役職は常置代理人でありましたから、上司である管財人から「相手にする必要は無し」との意向もあったのでしょう。
悔しい思いを長年お持ちになっていた中での、当社(私)との再会で恨み節の一つも言いたかったのだと思います。
私は、同じ相手に憤りを覚え悔しい思いを抱いていた点で、その気持ちを共感する人がいたことに、長年のしこりが少しだけ、ほぐれた気になりました。
E先生は弁護士であり企業再生家でしたから、彼らの様な連中に対する悔しい気持ちは私の何倍もあったとは思いますが、私は過去の過ちを挽回した様な気持ちになれたのでした。
さてお互いに、いろいろな思いがよぎるのもありましたけれども日も暮れる事だし、そろそろ本題に入らねばと思い主題を切り出してみました。
私:「それで私のご提案した、商品を現物出資と言うかたちでお渡しする案は如何でしょう?」
E先生:「もちろん裁判所にその内容を伝えています。前向きに検討させて頂くつもりですよ。これがあればA社の再生は早まる可能性が高いんですよね?」
私:「そうです。当社の不良債権は2億円以上で事業債権者としては筆頭になります。同業であり供給者でありますから、その供給者がA社への新製品の供給を止めるという事になると、A社の店舗が競争力を失いますのでエンターテインメント事業にとっては死を意味します。つまり再生が成り立たなくなるという事です。そのため当社が今回、再生型法的整理に必要な供給をさせて頂くという事です。」
E先生:「一見、話がうますぎますが、同業の供給者であることは理解できますが、筆頭債権者がここまでしてくれる理由はなんでしょう?」
私:「A社は長年の大口取引先であります。売上げと言う面でも、大いに当社の業績に貢献して頂いていました。いえ、大いに依存させて頂いておりました。」
E先生:「でもその恩恵に報いるため、と言う様なお涙頂戴な意思決定が上場企業ができるはずはありませんよね?やはりメリットがあるということでしょう?」
私:「さすが先生、そのとおりです。しかし大口の取引先が倒産し、最悪は破産して消滅されてしまっては将来の販売機会が失われるのは困る、という意図が正直なところです。当社の諸先輩方が長年かけて培ったこれまでの関係から、当社にはA社へ依存するあまりA社のためだけに製造した商品在庫が多数あるのです。これを引き取ってもらわないと困るのです。全部で売価4億円は下らない価値のものになります。」
E先生:「・・・・。」
私:「先生も、申立当初から我々が前向きにA社やA氏と接触している事に違和感を覚えておいででしょう?でも先生の事ですから薄々分かっておられたかもしれませんが、A社が会社更生を申立てたその時点で既に債権の保全はできていたのです。」
E先生:「やはりそうでしたか・・・。御社の態度から保全されているのでは?別除権者か?と感じていたのですが不動産や株券の担保を御社に差入れていた記録はあれど、すべて返還されておりましたので、物的な差入担保は無いのにどういう事かな?とは感じておりました。」
私:「取引信用保険と保証です。」
E先生:「なるほど・・・。」
私:「更生計画の立案が進む中で、関係人集会も幾度か開かれるでしょう。その途中で突然、当社は債権の90%以上を保険・保証会社に譲渡します。その内容証明が管財人宛にじきに届くと思います。ただし1000万円強はまだ、直の不良債権として敢えて残します。供給者として、A社に存続して頂くための清き一票として集会にて更生計画に賛成票を投じることができる権利は残しておきたいし、裁判所から出てくる動態情報も収集できる環境は残しておきたいですから。」
E先生:「取引信用保険などを有効に扱うのは費用対効果からとても難しいと聞きます。御社はきわめて合理的に活用されとったんですな?感心します。」
私:「有難うございます。」
私は先生が理解してくれたので説明を続けました。
通常、債権の大半を保険会社や保証会社などに譲渡したら「あとは知らない」という債権者は多いはずですし、債務者側の申立代理人や管財人からみても、もう用は済んだ債権者としてドライに距離をもつのが普通だと考えます。
でも、E先生はそれを冷静に、企業として事前に合理的な貸倒処理の方法を確保していたとして評価して下さり、その余力で当社が支援に動き出したことにも理解してくださったのでした。
私:「当社はA社用に製造した商品在庫の価値を製造原価に引戻すなど社内調整を行い、筆頭債権者として最大2億円強の現物出資として供給します。やり方としては1度販売してそれを貸付(A社からみて借入)とし、資本に組み替えるDES(デットエクイティスワップ)でも、ややこしければ最初から現物出資とさせて頂くやりかたでも、どちらでも構いません。納品にかかる費用も当社が負担します。もちろん議決権を持たない優先株として扱って頂いてもかまわないです。」
E先生:「・・・・そうですか。今週末に裁判官と話をする予定でおります。彼にはこの内容を話しておきましょう。」
正直なところ、はっきり言って当社側は不良債権の大半が譲渡されるという事が判明した時点で、以前常務が発した「A社の代わりはいくらでもいる」という発言もあり、この倒産事件に対する興味は薄れていました。
会長・社長のトップはその後も気に掛けておりましたが、サラリーマンであるそれ以下の勢力は「もう済んだこと」として、常務に対し「うまくやったんだな」「なんだ、失態を突いて足元すくって引きずり落してやろうと思ったのに」と言う様な空気が漂い、常務も自身への責任回避ができたという事で安心しきっていて、すでに意識は将来の数字を作る案件に向いていて、私に対しても皆は「よくやった」と言う称賛から「つまんない事をまだやってるの?」と言う風な声を投げかける人々が多くなってきておりました。
しかし、そうなっても私の考えは別な方向を向いていました。
自分の目指すべきもの、それは自社の不良債権に対する免疫力を十分に備える事が出来れば、取引先や重要な利害関係者の支援だってできる。
金融機関が「カネ」で行う再生手法をうたうのであれば、私(当社)は「モノ」で再生できる。
その要となる“免疫”が「与信」であり、さらに「管理」という名の業務を「免疫“力”」として様々な効果を可視化し他人にも理解できる「ビジネス」に変える事が出来れば、他の業界への支援もできる。
それを証明して見せたかったのでした。
長年、与信管理の実務をやってきて、これを実現できるのでは?との気持ちが徐々に湧き出てきていて、自分に新たな希望のタネが出来かけている様に思い始めたのです。
業界最大手の当社が、この様に取引先の再生に寄与すれば社会的評価も上がり、業界からの求心力もいっそう上がる、創業したてで不安を抱える若者も安心して当社に育ててもらおうと思うのが増えるはず・・・。
そういう希望が脳内に湧き出てきていたのです。
しかし残念ながら、私の考えは親しい人に話しても「青い」としか聞こえないでしょうし、まだまだ他人に話すにはきれいごとの境地にしか聞こえないのです。それ以前に「与信管理ってなに?」と言う与信管理そのものに理解の無い味方(当社内グループの社員)の数や自分の事を優先に考えるあまり不良債権を拵え自社の財務を腐らせる人々の数を減らすには、乗り越えなければいけない壁が山積しているのでした。
今回の会社更生においても、瞬時に全額回収した技を見せてもそれが確実か否か自分自身確証が得られるまで時間がかかってしまったうえ、その技のウンチクをうまく説明できず、与信管理の有効性を証明する千載一遇のチャンスにうまく活かしきれなかった感があり、自分の至らなさを大いに感じるところでもありました。
「与信管理」という業務のすばらしさをグループ内で広めるためのノウハウや成功事例がないか、外部にヒントを求めるのですが、よその企業も個々で企業文化や慣習が違ったりして十分な決め手となる解を得られぬままモヤモヤしている状況だったので、実例で効能を示すのが一番説得力があると認識していたにも関わらず、目の前の処理ばかりに気を取られ、経営に注目されても控えめにしていた自分が不器用すぎて腹立たしく思うのでした。
とある同僚から「今がチャンスじゃん⁉なにやってんの?」と出世へのアピールを煽る者もいましたが、回収が確実視されるまで謙虚にふるまう事が大事と思っていました。
まずは自分の地位を高めることで発言力を高め、有能な部下を従え自分に足りない能力を補わせ、より社内組織を俯瞰できる視座に収まることを優先するという手段をとる事のほうが、夢と希望を叶える近道である、ということには気づけなかったのでした。
E先生と別れ、彼の事務所を出て帰りの飛行機に乗るための空港行のタクシーを拾う時に、南国の夕日がソテツの木を影にしてオレンジ色のグラデーションが実にきれいな景色を見ながら、そんな思いが過り「俺はバカなんだなぁ・・・」とつぶやいてしまうのでした。
でも回収でのアピールに失敗したとしても、今回の現物出資の件で再び注目されるかもしれない。
これは保全関係の仕事で私に携わる金融機関系の方々も注目してくれている。
これこそ、「自分の望む与信管理の完成体に近いもの」であり、それを見せられればいいやと考えるのでした。
(⑪につづく)