あれから1週間ほど経ちましたところで、E先生から「返答したい」とのご連絡を頂きました。
日にちを決めて再び現地入りしA社の事務所を訪ね、E先生と向かい合って話を聞くことになりました。
E先生:「あなたからの申し入れについて、裁判官も前向きに検討してくれたのですが・・・申し訳ない。あの話は更生計画に組入れる事はできなくなりました。」
私:「え?なぜでしょうか?」
E先生:「・・・裁判官もほとほと疲れたと言っていましたが、例のR社が激烈に反対しとるんです。彼らはなんにつけても反対するのですが、御社が支援の話をしとると言う事も嗅ぎつけていて、さらに現物出資の話のことも聞きつけたらしく、私や裁判官に猛烈に抗議してきたとです。」
私:「彼らはそういう主義です。今回も、当社には一切コンタクトを取ってこないし、取引も昔は仲良かったのですが、ある出来事をきっかけにあちらの創業者が何かの癇に障ったのかわかりませんが、当社との接触を一切絶ったうえ、それ以来、当社を絶対的な敵とみなしているのです。」
E先生:「困りました。なのであの話はあきらめてもらえませんでしょうか?」
私:「どうしてでしょうか?R社は管財人である先生に対しても当初から足を引っ張る抗議しかしていないし、債権額も当社より少ない。当社の半分です。」
E先生:「そうですが・・・債権譲渡されると、彼らが筆頭債権者になります。」
私:「そうは言っても、彼らは一切の支援について拒否しているし、理不尽にも債権を全額返せと、かつて当社の(軍団と称されたヤクザな連中の)様な事を今の今でも行っている連中じゃないですか・・・。」
私は、確かに債権譲渡してしまうと筆頭ではなくなるばかりか少額債権者になってしまうのは事実で反論の余地はありませんでしたが、とは言っても今後の商品供給者として最も大事な存在になれると、傲慢だと思いつつも信じておりましたので、全くそのあたりは気にしていなかったのですが、E先生と裁判官にとっては違った様です。
やはりE先生は理解して頂けたと思っていましたが、裁判官には「不良債権を“飛ばす”、ずる賢い債権者」の印象を与えてしまった感は否めませんでした。
当然に、管財人とはちがい裁判官はジャッジメントの取りまとめをする役目がありますから、権限は一番強いわけで、彼がそう判断したなら覆す余地がありません。
私:「債権譲渡をした後の一票の重さを量られたのでしょうか?」
E先生:「それだけでは無かとですよ。」
私:「・・・・どういうことですか?」
E先生:「裁判官は、今後の商品力なども気にしとるのです。」
私:「・・・・」
怪訝な顔つきの私に向かって、E先生は言い難そうに切り返して、さらに続けてくれました。
E先生:「御社のほかに支援を申し入れてきている債権者さんは何社かいらっしゃいます。その中には同業者はもう1社あります。また一部の金融機関やリース会社も、支援の意向に変化したところもあります。それは御社が支援を表明したからだと判断しております。」
私:「当社の動きに乗ろうとしてくれているところが出てきたのは喜ばしい限りです。」
E先生:「そうです、それはとてもありがたい事です。ところが、支援を名乗り出ている(もう一社の)同業の方が、御社の事をあまりよく言わんとです。裁判官はヒアリングと称し、客観的な見地で確かめたいとのことで呼び出して意見を聞いたそうです。」
私:「それで・・・?」
E先生:「裁判官の話では、御社が現物出資の話をしている例の“商品”は、良くない商品でお金を稼ぐことはできないと言われたらしいのです。更には、R社の態度が変わる可能性は低いもののR社の商品が手に入らなければ当社の商品が入らない以上に店舗はやっていけないので、ご自身が仕入れてA社の店舗に置いても良いとおっしゃっているそうです。R社の商品もたまに期待に反して大きく外す(プレイヤーが遊んでくれない)商品もあるけれども、御社よりは期待できると・・・。」
私は、その言葉を聞いて絶句してしまいました。
私はその同業者の事は知っておりました。
最近の関係人集会では、既に出席しなくなったR社の連中に代わって取巻きの部下たちを伴い最前列に陣取り、肯定的な目線で管財人の話を聞いている姿が目に入っていましたので「支援を申し出ているのだな」とわかる態度でありました。
そのもう一社と言われる同業者をQ社と呼びましょう。
Q社の代表者Qさんは、地方都市の不動産で身を立てた御仁で、パチンコ店などが主に出店するような一等地の商業施設の不動産オーナーとして有名で、当業界ともお付き合いは長くA社の店舗の不動産も複数店舗所有して関わる大手でありました。
とても頭脳明晰な華僑の方で、ご自分の周辺ブレーンにも経営コンサルタントや弁護士などの職歴を有する優秀な人材を多く配置し、先進的な経営を目指している事が伝わってくる人でありました。
近年は、店舗を自分で経営する直営化も進めてきており店子との契約を更新せず、ノウハウを身に着けたら自身の会社で運営するという方針も打ち出していました。
もちろん、後継者がいないため廃業するとか、今回のA社の様に倒産してしまった先に対して持ち掛ける事が多く、落ち度ない店子を追い出すなど義理無く世間に非難される様な事はしない主義で、正当なやり方で進めていく人物で信用もありました。
Q社はA社の倒産で家賃収入や消耗品立替費用が焦付き不良債権となっていたのですが、おそらく企業再生というものがトレンドとして世間で言われ始めた頃なので、それに乗っかってみるものいいだろうと判断し、名乗り出たのであろうと思いましたし、再生に協力的であれば、焦付いた債権も共益債権と見なされ全額回収できるかもと言う算段があったかもしれません。
不良債権の額は一見小さく見えても、この業界の店舗を運営する業者にとっては、粗利は高いと評されますが、そのほとんどが人件費・光熱費そして設備投資に回り、最終利益は非常に少ない商売なので、被害額を売上によるキャッシュベースで取り戻すに逆算すると絶望的な額となり、つまり貸倒は彼らの経営にシャレにならない影響をもたらします。
そこで彼はその実態を大いに感じていて、切実とはいっても世間体を気にしてスマートに演じながら回収したかった意図があったのかもしれません。
以前このQ社のQさんは、当社を訪問され「直接口座を設けて取引を行いたい」との申入れをされたことがありました。
私としては与信判断に必要な資料(決算書とか)を見た限りで文句をつけがたく、優良な企業でしたから問題なく開設できる旨、営業には伝えておりました。
その締めとしてQさんが直々に来社されたのですが、私は面談の同席には呼ばれず営業側だけが会いました。
どういう理由で私が呼ばれなかったのか、事実はよく分かりません。
ただ営業は、A社の店舗のオーナーであったQ社との直接取引をするよりもA社の更生を支援し取引が元に戻ることの方が良いと判断していたので、取引は断る方向になっていた感は否めず、私は敢えて口を出す事は控えておりました。
Qさんは、裁判所に提案した「R社の商品を自身で買い取る」という提案を、当社にも「A社に商品を販売しにくければ自身が買い取って店舗に置く」ことも提案してきていた様です。
でも営業は、長年のA社との付き合いを義理堅く優先し、更生計画を尊重しながら直接に供給していきたい意向を示した様でした。
その時は、当社が現物出資を画策していることは、Qさんに対しては絶対的な機密情報でしたし、当社がそこまでA社の更生を考えているとはQさん自身思っていなかったはずです。
この様な状況から残念にも、営業はQさんの前で煮え切らない態度になってしまいました。
正々堂々と部下を伴い自身が訪問し取引を申し入れ、要求された決算書などの資料はすべて提出したのに、当社営業の回答はQさんにとって大変不満足なものであったかと思います。
予想よりも不利で厳しい条件、過少な与信枠。
自分は、この若造どもに大きく軽んじられている。
私が感じたQさんの心情はこの様なものでした。
私としては、格付けはトップランクに並び、なんら与信上の心配のないレベル。
自分が営業なら、A社の事など考えず狡猾に儲けを追う考えに徹し、その場ではしっぽを振ったふりをして、Qさんの要求に満額応じた条件を提示し、彼に気持ちよく帰ってもらったことでしょう。
Aさんに対して義理を保ったのでしょうが、Qさんの心証を害したことで回りにまわって彼の発言が裁判官をマイナスの方に動かしてしまったと感じました。
実際に現物出資となる商品の市場における稼ぎ度は、先行して発売した店舗情報によると散々なものでした。市場からは「欠陥商品だ」とまでなじられ、販売価格に見合わず稼げない、いわゆる過剰投資な駄作の烙印を押されてしまったのでした。
すぐにソフトのアップデート対策を行い通信回線で改善版を配信したものの、プレイヤーのこの新商品に対する「もう一度プレイしたい」というシラケた気持ちを撤回させるには難しい状況となっていました。
逆にこの商品を購入しなかった取引先の店舗は、「売上の上昇は見込めなかったものの、ダメな商品を導入しなかったおかげで利益率とキャッシュを維持でき、店の活力はかえって向上した。」と発信するところも出てきて、果ては「天下の粗悪品」と烙印を押すほどに当社に反感を抱く連中も出てきたのでした。
当社の営業は社内で「R社の商品よりはマシだ」と反論していましたが、社外では同時期に発売したR社の商品のほうが「まだ良かった」と言われる始末で、勝敗は決まってしまいました。
当社派かR社派かという取引先の「どっちに乗るか?」において、当社は支持層の期待を大きく裏切った形となったのです。
A社の新しい代表が管財人により選任され、関係人集会でも承認を得ました。その人物は、Aさんに倒産前は相当なパワハラを受けていたと言われる人物でしたが、耐えに耐え更生法によりすべて自分より格上の人物が退職したため最高位の役職者となり今回、新社長として同社の新たな船出を任されることになったのでした。
当社への支持の高いAさんに恨みつらみの多いYさん、当然にアンチ当社でした。R社もあのような態度ですから、Yさんも必ずしも支持をしているという事ではありませんでしたが、それ以上に過去の自分の屈辱の裏に当社が絡んでいたと思い込んでいた事もあり、これからのことを考えるとアンチ当社という思いが強く出たのだと思います。
Y氏:「御社が、(A社に)大量に商品を押し付けてくるので店舗に設置するのに苦労したうえ、売上が悪いとA社長からさんざんパワハラを受けて心病んだよ。」
新生A社の発足で新社長就任へのご挨拶として営業に同行し伺った際に、我々に対しY氏が放った第一声でした。
Y氏:「でも今後は、身の程を知ったレベルで買うけど新商品のセールスは今まで同様にお願いね。」
社交辞令であることは明らかでした。
彼は社長とは言っても、A氏を支えていた百戦錬磨の役員数人が去った結果で得た「棚からぼた餅」でしたから、更生計画に則った経営としてはE先生たちが支えてくれるとしても肝心な社長業としては不安で不安でしょうがなかったと思います。そのため近隣の先輩経営者に教えを請いに行っているという噂を私も聞きましたが、この経営者はアンチ当社の考えを持つ代表的人物でしたので、今後のA社が当社離れになることは、簡単に予想できたのでした。
私も、E先生に勧めていた「現物出資」の戦術が、この様なダメ商品を「タダでもいいから押し付けようとしていた悪党」と思われても仕方のない状態に追い込まれてしまったので、これ以上支援の話を蒸し返すことは止めた方が良いと会社に敗北の報告をし、真摯な少額債権者に収まることに致しました。
かつて私が現役の営業マンだった時代、市場の6割を占拠し経営者が公取の監視を気にするぐらいの勢いがあった当社、それは商品力だけではなく顧客に対する人間関係の貸し借りに絡んだ推しの強さ、加えて普段から彼らへの経営に対するコンサル力、情報力、そして他社を出し抜くずる賢い営業力が為せたものでした。
とあるやり手の社長から「君の会社は商品、経営者に対する情報、将来への示唆など素晴らしい物を提供してくれる。業界にとってなくてはならない絶対神だ。でも尊敬できない。なぜなら災厄ももたらす可能性があり着いていくのが大変で、油断すると常にこちらも潰される恐(畏)ろしさがある。でもそれが俺の経営者として成長の原動力だ。」とまで言われたものでした。
(のちにその社長も会社を倒産させてしまい再起に頑張っています。)
今度も帰りの空港に向かう道端に生えた夕日で影絵のようになった南国の木々を見て、まさに斜陽を感じた瞬間でありました。現物出資による再生支援で、それができる根拠は与信管理があるからだ。その重要性をアピールするという最後に臨んだチャレンジも空振りしたことで、自分のキャリアの方向転換を考えた瞬間でもあったのでした。
(⑫へつづく)