A社の会社更生申立直後はいろんなことがありましたが、数ヶ月が経つとようやく落ち着きを取り戻し、日常の業務に手が付けられるようになりました。
私は現物出資の件がダメだったことから、裁判官やE先生から「悪の策士」と思われていやしないかと、夏の間は彼らとはしばらく距離を取ることにしておりました。
そんな季節が終わりに近づいたある日に、E先生から連絡が入ったのでした。
「御社を訪問したい。」
との事でした。
更生計画の目途が立ったのでしょうか・・・。
依然、管財人はまだまだ、あちこちでA社の件に関連する訴訟など抱え忙しいはずでした。
E先生によれば、「支援するためには第一の条件として資金繰表の提出を」と私が再三求めておりましたので、そろそろ、その回答もかねて伺いたいとの事でした。
彼らは現物出資の話に対して、当社へ断りを入れたために当社に支援姿勢に心変わりが生じるのではないかと警戒しておられた様で、先方もこちらの様子をうかがっていた様でした。
ちょうどよい冷却期間だったのかもしれません。
結局は、あの話を断られた後も当社は、支援方針を覆す態度も再生支援のための商品出荷を抑える事もしなかった(むろんそんなことを考える気もありませんでしたが)ため、現物出資の考えがいわゆる“A社をハメる”詭弁ではなかったと思って頂けた様で、本当の支援者として、本当の共益債権者として認めて頂いたのだと思って頂けたようで、私も少し気が晴れたのでした。
来社の当日、社屋の門前でお待ちしていたところ、まだまだ残暑が残りモヤモヤとした逃げ水と陽炎が映る駅からの一本道を、ゆったりとこちらへ歩いてくるエヴァの様な紳士の姿が見えたのでした。
なにやら、左手にプラプラとぶら下がる瓢箪の様なものを持っているのが見えました。
「なんだろうな?」と目を凝らしたところ、どうやら瓶の様です。
再会の挨拶でE先生が「これ」と差出してきたのが、イモ焼酎の瓶でした。
私:「いいんですか?」
更生管財人の弁護士先生が手土産?
「いいんですか?」の後にそういう疑問の言葉を連ねて言おうかと思いましたが、なんだか野暮に思え、改めて伺うのは止めました。
そしてE先生をご案内したのは、当社の社長と常務が待つ本社の会議室。
社長は、当社としてはもう済んだことになっていたのですが、あれだけの大事件だったA社の更生管財人という人物に会ってみたいのと、事前にAさんからの連絡もあったそうで「じゃあ会うか」ってな感じになっていた様で、私がアポを受けたタイミングで社長秘書からも「社長がお会いになるそうです」という感じで事が運んだ次第でした。
会議室に入り名刺交換を終わらせたあと「E先生から焼酎のお土産です」と伝えると、社長と常務も「え?」と言う感じになりましたが、なぜか二人とも無表情でスッと有難く受け取って、私はE先生の隣に着席し、社長と常務は相対して着席しました。
私は焼酎を自然に受け取った二人に、これまた違和感を感じました。
南国の方らしく、あっけらかんと世間話を始めたE先生は、偉ぶった東京に多く見られる特許や国際関係の法廷専門弁護士とは違い、気取らず人間味のある、およそ弁護士らしくない話しぶりでした。
でも「田舎弁護士とは言えどんな案件でもこなしてきた」という自負が伝わる風格を感じました。
本題に入ると、先生は用紙サイズA3を盾にしたA社の資金繰表を出して
E先生:「以前より御社のご担当からリクエストのあった資金繰表が、ようやく見せられる程度になりましたので、ご説明したいと思いまして・・・。」
社長と常務は、私のほうに目をやって「ああ、あのことね。」という程度で、思い出したように先生の話に耳を傾けました。
倒産したとはいえ、何百億もある収入の会社ですし、倒産後の資金繰は倒産前に比べ、それまで帳簿にない不透明な収入や倒産したことによる税の還付等々の臨時収入から、支出は訴訟費用、倒産に係る費用、従業員への未払い費用、当社の様な共益債権者へ現状営業力を維持するための商品供給を受けた常時発生する支払(支出)等々、事細かく記載されていました。
社長は、もと銀行マンだったので興味深く見て、質問などもされていました。
私がなぜ資金繰表の提出を求めていたかと言いますと、またもや試してみたい事があったからです。
現物出資の策は、時の事情によりチャレンジしたものでしたが、それとは別に親しい取引先の倒産で当社が支援を表明した場合に必ず行いたい事があったのです。
私も、凝りもせず次から次へと思いつくものです。
それだけA社の会社更生は、私にとって貴重なチャンスの宝庫でもあったのでした。
そのチャレンジしたい事とは
「一度倒産した会社に、再び与信枠を設定して取引する事」だったのでした。
R社の様に感情的になってしまうと支援も何もあったもんじゃなく、関係は断絶となりますが、そうなれば今まで積み上げてきた先輩たちの苦労がもったいない。
そこまでいかずとも再生型の倒産(法的整理)だと「不良債権が少しでも取り返せるのなら」と、その後の支援目的の取引とする商品供給だけは容認するところが出てきます。
ただし、倒産したわけですから信用など0なわけで、すべてにおいて前金前払いになります。
取引の規模が小さければそれでもいいのですが、A社の様な大きな企業ですと、いちいちネジ一個の振り込みのために送金手数料を負担し、また全国の支店や営業所に直送してもらうための送料も前金で払うなどという事は煩雑でしょうがない状態となります。
それが原因で、逆に資金が回らなくなり再破綻(破産へ移行等)し、せっかく支援してくれた先に二度目の被害を与えてしまう悲劇も見てきました。弁護士先生にも決算書や企業の計数に詳しい人は多くないので再生スタッフに会計士など添えられれば良いですが、再生資金にも限界があり思うようにはいきません。
また供給する側も債権者だった場合は、社内で再与信(再び掛け取引を行う事)のハードルは極めて高いものです。
恨みつらみは会社も個人も生じますし、それを乗り越えて再与信すると言ってもそれを承認する理由はおろか、意思決定までの社内プロセスを踏む術がないのです。
ごくまれに、倒産した側の代表と「昔から仲が良かった」と言う個人感情だけで、気まぐれな独裁経営者が鶴の一声で再与信を発令し成り立つすることはあっても根拠が無いので、社内や組織の納得感は0で思考停止の状態だったり、またそんな経営者を利用して「神の声だから」と、自分が与信能力が無く貸倒れてしまったくせに、その取り繕いで経営者を誘導して再与信してまた貸倒れるという全く芸の無い事をする人は、社外において見てきました。
そんな意味のない事はしたくないので、しっかりと理論立てし民主的な企業として納得感の高い意思決定を行い、グループの最高機関で正々堂々と決裁された再与信として支援ができるようにしたい。
それが目的だったのでした。
そのためには、相手側の協力も必要で、一度倒産(破綻)したからには、決算書の貸借対照表や損益計算書、信用調査会社の評点、そして最も貸倒に頼りになる取引信用保険(保証も含む)は、当然にしてまったく役に立たなくなっており、唯一資金繰表が再破綻の無い事を証明するツールであり、それをを徴求するわけです。
とはいっても倒産しているわけですから、直後の資金繰は信ぴょう性に賭けるものです。
E先生には「多少軌道に乗ってきたらのタイミングで」という前置きで、資金繰表をお願いしていたのでした。
何度も何度も、ことあればリマインドとして発信しておりました。
私は当初、資金繰表を欲しがる根拠を伝えないので、訝しがる人は少なくありません。
普通は、特に日本人の場合「失礼だ」と憤る人も多くあります。ご自分が倒産して、再生を図る立場でも、その様に考える弁護士先生やコンサルタントの方々も多いものです。
明確に伝えない理由は、目的を示すことで「藁をも掴む」者だと必ず期待して欺瞞が入り込むので、こちらのリスクヘッジだと思わせておく方が、どちらかというとまだ進めやすいのでした。
とにかく、「資金繰表を見せて欲しい」としつこく言い続けるのです。
過去の経験では、逆に恐怖を感じさせてしまい意図せぬ方向にぶれる事もありました。
「資金繰表なんか銀行にも見せたことが無いのに」(倒産列伝011)と激高する経営者や、逆にこれだけが原因ではありませんが、経営者が自ら命を絶とうとして破滅に追い込んでしまったこともありました(倒産列伝012)。
この倒産列伝シリーズではお伝え出来ませんが、まだ倒産しておらず自社の危機にも気づいていない経営者に資金繰表を徴求する場合などは、更にその何倍もエネルギーを使ったものでした。
そんな状況を繰り返してきたので、再与信の取引を正式に行えるチャンスはまたとないことなので、E先生が、当社へ資金繰表を示してくれたことは大いに感謝すべきことでもありました。
資金繰表は、半年ごとに上半期は実績、下半期は計画と実績が表記されていました。
ざっくり感はありましたが、会社更生法なので裁判所のお墨付きもあり信用できるものと判断できますし、更生管財人に欺瞞が生じたら、私でなくとも司法が罰する事になるので、こちらの社内で意思決定をするには申し分ない証明資料でありました。
私:「収支尻の折返しが黒になるのは1年後なんですね?ひと月でも早くそれが黒になる様、与信取引で商品供給を続けられるように準備を致します。」
自社の社長と常務の前で申上げた(言い切った)ので、管財人であるE先生には私の誠意が伝わった発言だったかと思います。
一方で社長や常務は「おまえ大丈夫か?」という目で見ていたのも覚えています。
用件が済んでE先生は、資金繰表の写しと焼酎をおいて当社を出られました。
お見送りとして常務と私で玄関まで彼についていきました。
知りたい情報は、別れ際に問うのが良いとされているので「先生はこの後どちらへ?」と聞いたところ「Qさんのところへ行きます」と、サラリと答えられました。
どこか(例えばホテルや駅のロッカーとか)に当社へ持って来た焼酎か、それ以上の持参品を隠しているのではないか?と思いつつも、素直に答えて頂いたところは、さすが南国の正々堂々としたお方だなと感心するところでもありました。
社長の応接室に戻りますと、秘書の人が中身を確認していました。
あの当時は、芋焼酎が大ブームで、転売すると高値になる銘柄がたくさんあって、東京では特に味が分かっているのかいないのかうんちくを垂れる人が、山ほど出てきた時代でもありました。
特に会社経営に近い方々は欲しがる様相で、仕事中にもかかわらずネットの転売情報を見て話題のネタとしたり盆暮の贈答品にして上司に取り入ろうとする管理職も多くいたのを思い出します。
社長はお酒があまり強くない方でしたが、この様な時代背景があったので「どうりで常務もあわせて二人ともE先生が持参されてきたときに、スッと受け取るはずだ」と思うのでした。
常務はよほど楽しみにしていたのか、プレミア焼酎が入っているものと期待していたのでしょう。
常務:「なんだよ、こないだ発売になったばかりの何でもない銘柄じゃねーか。」
と私に毒づいて「お前持って帰っていいよ」と言い放ちました。
後日私は、その焼酎を飲んでみたのですが、たしかにプレミア焼酎という飲みやすさは無く、むしろ若い頃に味わった癖のある芋焼酎でありました。
「空けてない方はいつかプレミアになるかも」と思いずっと置いていたのですが、居酒屋では今でもなんでもない焼酎として置いてあるのを見かけます。
人によって誠意というものは違いますし、当時の焼酎ブームの価値観だけで人を判断するのはよくありません。
焼酎は、毎日仕事終わりに家で晩酌して楽しむものです。
いかにもと言うプレゼントを欲しがる人は多いですが、それとなく日常で効くものを提供してくれるのも良いものだと思いますので、E先生の人柄を表しているなとしみじみ思ったのでした。
(⑬へつづく)