倒産列伝015~おれもわからん!! 会社更生⑭

倒産列伝

 「協力してくれた先にご迷惑はおかけしませんから!!」

 普段いい加減で遊び人な社長が、会社をつぶしてから再生を図る時に使われるセリフです。

 でも、弁護士であり管財人から言われると違います。

 それも、幾度の再生案件に関わってきた熟練の弁護士から。

 と、言いたいところですが冷静に考えますと

 破天荒で毒もありながら大いに魅力があり、実績も信用に値した創業者でかつての経営者だったA氏は最悪の結末を招き、とうにA社を去っており、代わりに弁護士が「再生させる」と言っても債権者はみな、信用していいのやら・・・という状況だったのでした。

 弁護士(管財人)が、社会的権威や裁判所の後ろ盾があると言っても、欧米発祥であり自由経済そのままの弱肉強食であったこの業界で復活を果たすに「確実」と言う言葉は、まずありません。

 約束が守られる保証など、どこにもないのです。

 いざこのA社の経営再建の主導者になることは弁護士で管財人でも、債権者に再び支援して欲しいから「ご迷惑はおかけしません」とふれることは空手形に等しいと思われて仕方ありませんでした。

 でも誰かが勇気を出し思い切って協力しないと、しかも大手でネームバリューもある先、しかもA社の本業に精通していて確実な協力者となり得る存在。

 「それってウチ?」

 支援を表明しておいて今さらこの心がまえは良くないのですが、現物出資の件は断られ、見せてもらいたい資料はチラ見せ的な感じ、法の制約が多い中で先生が示してくれた誠意以外、私自身が自分で解決しながら勇気を盾に結果のわからない世界に挑むというシチュエーションは、冷静になって後から考えるに「まじ大丈夫か?」との声が上がるのは無理もないところでした。

 私としては、A社を再生させろと国からプレッシャーをかけられる管財人とは違い、対外的には「結果はどうなってもやるだけやった」が言える立場ではありました。

 しかし、社内では違います。

 「再生させる」はA社および管財人次第だという事は関係者みな理解していましたが、売上が激減した中、どの程度リスクを負いながらその減少をくい止め、かつ元通りになるまでもっていけるか、という事にかかっていました。

 しかも再び貸倒れが発生しようものなら、グループ内で「それ見た事か」の袋叩きにあう事は間違いなかったので、そうならない事(再度の貸倒は起きない事)は「すでに手を打っている」という事を示す必要がありました。

 それが「毎月の資金繰表と今後の資金繰計画を提出させること」だったのです。

 以前に触れましたが、前々からしつこくE先生には当社が継続して再生に協力するには資金繰表を提出してもらう事が大事と伝えていましたし、今回の管財人の立場で来社され当社社長にこれまでの資金繰実績と計画を提出してきてくれたことでE先生自身も「準備は整ったよ」という意思表示でもあったかと思われ、毎月の提出は改まった決め事としての打合せも無く、提出がなされることとなりました。

 ただし、当社に提出する資料はすべて裁判所の管理番号が付される事も分かりました。

 これは実質、他の債権者も裁判所に閲覧申請すれば見ることが可能という事で、なんだかヤな感じはしましたが、法的整理会社の再生に協力するという事は「そういうものなんだ」と、いつ見知らぬ他の関係人から難癖をつけられるかわからない脅威に耐えなきゃいけないという事も学んだ次第でした。

 そんな精神的苦労などは、社内の誰も理解し得ないし「あいつが勝手に支援した」と皆に距離をおかれ、何かあっても頼る事など出来ない、すぐ逃げる勇気のない連中が卑怯な高みの見物をする中でのスタートだったし、同時に自分が望んだことであり、自身のエゴが生み出した「業」なんだから、と「ダメだったなら笑いものになってもいい」と開き直って取組む、そんな覚悟をきめた時でもありました。

 与信枠1億円、月末締翌月末現金振込100%、枠は及ばないものの製品、部品、販促品等々についてはほぼ倒産前の提供レベルに戻すことに加え、健全企業と同等の新商品案内など情報提供、従来通りのコンサルティングサービスを提供する事に対し、それらの対価が支払われないかもしれないリスクを担保するため、中小企業向けに要求する代表の連帯保証人を更生管財人に求めない代わりに、裁判所の認可した資金繰実績表及び資金繰計画表は提出マストとし、その他定期的に作成される決算書についても提出する事、当社の判断で、理由の合意を問わずいつでも前金制に戻せることを明記した契約書を締結した(できた)のでした。

 

 まさに更生計画案の作成状況も佳境になっており、関係人へ計画の開示も間近となっておりました。

 倒産した直後のA社の勢いは、それまでの健全だった時代の取引の50%程度になっておりましたが周辺からはあれだけ店舗を閉店したり他社に売却などした割には「腐っても鯛だね」などと揶揄する声も出るほど、取引は進みました。

 管財人のE先生からすると、再生を果たすにはまだまだ資産売却やリストラ、賠償請求などの訴訟案件の判決が進まないといけなかったと思いますが、営業資産の活力は先行した設備投資を続ける事が第一なので、これを理解し、当社をはじめとする同業者との取引再開と新たな条件交渉、怒りに任せ無理難題を吹っ掛けてくる先との駆引き等々、前向きな再生を見据えた、将来の仕入れに必要な業務をやりながら、同時に後ろ向きな整理業務を行うことは極めて大変な労力が必要であったかと思います。

 よくぞまあ、あの年齢(70歳代にかかっているのではないか)で動けるもんだと感心するのでした。

 粛々と手続きは進んでいた様ですが、私もほかの事件に取り掛かる様になって1年近くたった頃に

当社宛に「A社の更生計画書」なる電話帳並みに分厚い冊子が届いたのでした。

 更生計画の方針内容は、案として事前に通知を受けた時に少し驚く内容であった「スポンサーを付けない自力型再生」というものでした。

 当初からマスコミなどでは、早期再生の条件は、適正なスポンサーが現れるのが前提などと記事を書かれたりしたのですが、それに引っ張られてE先生らもスポンサー探しに力を入れていた記憶でした。

 でも当時は世界的大不況の真ん中にあって、また当社の様な同業大手は筆頭債権者のうえ現物出資などは検討できても、真水の投入(現金で出資する事)はグループ内で極めてハードルが高い規定が立ちふさがるため不可能でしたし、いまだ激怒するR社は取り付く島も無く、そこそこ大きい会社と言っても地方の一業者に過ぎないQ社も、非上場であり世間に認められるほどの規模・知名度は無く、やはり業界の外から探してくる選択肢以外ない様に思われ、マスコミもその点でスポンサー探しは難航するとネガティヴな予想を述べる様になっていたのでしたが、私は「その流れからスポンサー探しを断念!!」とマスコミが謳うのは間違いと思っていました。

 私はすぐに「むしろ、これはアリだろう」と思うと同時にスポンサーを募るやり方より、「これができる(自己資金で再生できる)業界である」と社会にアピールする絶好のチャンスだとも思える事例になる、スポンサーを連れてきて早期に形だけの再生で決着を図りたい魂胆見え見えの先生よりも、じっくりと本当の再生を目指すやり方に選び変えたことはE先生らしい骨太のやり方と思え、かつ現金が入ってくる業界ならではの「自力再生」という選択が、今後の業界の信用回復になるのでは考えられたので、いろいろ希望の持てる展開だと期待したのでした。

 関係人集会は、現地の裁判所かどこかのホールで行われた記憶ですが、筆頭の債権者で支援先ともなればいろいろ目立つだろうと思い、そこに私が出席することはしなかった記憶です。

 開催までの経緯も欠席した経緯も、今となってはまったく記憶が無くなっていて、私もそれどころではない他の事件に気を取られ、また手続の進捗に安定・安心感があったため、この事件の事は頭からすっぽりと抜けてしまい、A社との接触も営業部門に譲って、E先生との対話もほとんどなくなり疎遠になっておりました。

 そんな関係人集会も無事、更生計画の認可条件を満たす債権者や、その他関係人それぞれの同意も得られた様でした。

 当社も当然、書面で同意の意思を送っておりました。

 部下の女性に任せっきりでしたので、意思表示した記憶すらも無くなっておりました。

 当社内でのA社に対する定期ミーティングでは、営業が取引状況や売掛債権の金額の推移など報告を受け、懸念あればこちらが役員に報告としておりましたが、まったくその必要がないくらい関係も平和に推移しておりました。

 そしてしばらくしてのこと、E先生から連絡が入ったのでした。

E先生:「このまま再生の目途も立ってきましたので、ここらへんでA社の代表は降りようと思います。いつまでも弁護士が企業の代表をやるよりは、その道の専門家(叩き上げ)に任せた方が良いと思っています。周辺の関係者からは留任の意見もありましたが、他の大きな破産の案件も入ってきて自分の体力から、これ以上掛持ちをするのは困難と考えるようになりました。」

 共同でやっていた代表の座をYさんにすべて譲り、管財人の業務も代理業の先生にほとんどを委譲したいとのことでした。

 そういうふうに言われると、そういえば・・・と記憶がよみがえりまして、E先生はいろいろA社の更生計画案の実効性を高めるため、当社にも取引条件を投げかけてきておりました。

 代金の前払いと与信取引の併用案や申立前(倒産前)から保有していた当社の持株会株式を担保に差し出す事とか、商品の下取りだとか、店舗の買い取り、そして最後の方には前倒し弁済を盾にしたペイオフ(残債の切捨て)案などなど、先生の中では更生計画の立案内容を実行すべく当社に考え得るシナリオを作り、試していたのだなと思います。

 しかしながら、当社は現物出資の話、再生のための与信枠の設定以外、彼が提案してくる内容についてはすべてスルーしておりました。

 なぜなら、当社はA社が生きていくために重要なアーケードゲームと言うコンテンツを供給していたので計画した与信枠内で回せる資金に見合った投資をしてくれれば必ず再生は果たせると覚悟を決め信じていたからです。

 私自身、当社において前代未聞であった倒産会社への与信枠の再設定を、正当な会社の意思決定プロセスを辿って正当なやり方で実行でき、会長・社長など経営を巻き込んでしまったわけだし、その後に変化球はまったく必要なく、常に真っ向ストレート勝負で覚悟を決めておりましたため、これ以上の早期決着案を提案されても、その考えが揺らぐようなやり方は「しない」と決め込んでいたからだったと思います。

 それなのでE先生の案は専門業での叩き上げでは無く再生弁護士の域を出ない素人くさいやりかたの部分は彼への良いイメージも削いでしまうため、私の記憶に留まらなかったのでしょう。

 そうこうするうちに(野球にたとえ)A社側のマウンドに上がっていたはずのE先生の降板通知がきた次第だったのでした。

 先生の場合は、投げ負けたわけではなく潮時といった感じだったからですが、後日更生手続終結後にご挨拶に伺った際、先生は私に

E先生:「管財人と会社の代表を兼任していた時は、夜に何度も飛び起きるほど悪夢にうなされました。食事ものどを通らない事も多く妻から大いに心配されておりました。ほんとうに夜も寝られず過ごしたこともあり、人生のうちでいちばん生きた心地がしなかったとです。」

 と打ち明けてくださいました。

 いろいろ前倒しで決着を図る提案を下さったのは、それだけ激務であり早くこの場から逃れたいと思う意思があったのだと思うのですが、ことごとく当社はスルーしたのは悪いことしたなと思うところで先生の寿命を縮めてしまったと申し訳ない気持ちもありましたが、当社や私としてはここは仕方が無かったことと割り切るしかない結果だったと思うのでした。

 あのYさんが単独で代表になっちゃうのか・・・

 彼はアンチ当社の考え方の人物で、代表に選出されたときも当社に対してあまり良い感情を抱いていないらしく慇懃な振る舞いをしていたので多少の不安はあったのですが、意外とこれまでのスタンスを踏襲するかのような取引距離で平和な時間が流れていきました。

 しかしE先生がA社での管財業務をご自身の事務所に移されたころぐらいから、少しずつYさんの態度に変化が見られるようになったのでした。

(⑮へつづく)