W君:「なんとか同行してもらえませんかね?」
担当を解任されたK君に代わり、新しく引き継いだ若手営業担当の上司にあたるW君から頼まれたのは、A社の倒産から1年以上たった頃の事でした。
K君はあれから営業を外され別の関連部署に異動となりました。
一見、A社の貸倒被害を防げなかったとして不名誉な配置転換を強いられた感じはありましたが、本人としては債権回収そして、その後も減らされない売上目標をこなしていくことのほうが精神的に厳しかったので、かなり楽になったと思います。
一昔前なら辞めていたかもしれませんが、家族もいたし、関連部署の管理職で留まったのはまだカムバックできるチャンスもあると予想できたので、幸いだったのだと言えるでしょう。
いっぽうでW君は、数年前に部下の女性にセクハラをしたとして閑職に追いやられていた人物で、まさにカムバックチャンスを与えられた感のある人材でした。
セクハラのせいで周辺の評判は悪いものの彼がA社の担当を引受けたからには私も付き合わなければならなかったのですが、元営業マンで古参の私に対して頼ってくるしかない境遇も理解できたので応援してやりたいという気持ちも出て、心離れかけたA社の債権回収&再生業務の現場に再び引っ張り込まれた感じだったのでした。
表情は読めない顔立ちなうえドライな性格もあり顧客からの評判も良かったとは言えず、悪い人間ではないけれども良い人間でもない、なんとも言えないキャラクターでした。
ただこの人物は与信管理実務者としては面倒を見てやらなければならないながらも注意しなければならない人物だと言える面がありました。
それはまだW君が、管理職ではないヒラ営業マンだったころに、私の旧知の取引先から決算書を頂こうとなった時の事です。
私はそんなに難易度が高いとは思っていなかったので、つい「言えば、すぐくれるよね?」と彼に言ってしまいました。
それをプレッシャーに感じたのか、私の言いっぷりをそのまま取引先の社長に伝えてしまい、彼とは相性も良くなかったのでしょう、外部の催しで私がその社長にお会いした時に「お前、俺が簡単に決算書を見せるぞと言ったんだってな?あいつがそう言ってたぞ。俺はあいつにもお前にも決算書なんて渡さねぇぞ。俺も舐められたもんだな。」とまくしたてられてしまいました。
旧知の取引先ほど礼儀は大事とすれば油断もありましたけれど、営業マンは取引先の敷居をまたいで会社の意思を伝える役目でもあり、言い方は自分でアレンジして相手を説得するのが本来の仕事なのですから、そのまま芸なく、さらには商売の身内といえる私の言葉をそのまま伝え会社の理論をそのまま取引先に伝える事は非常識この上なく、しかも相手が怒り出したとあって私が言った事として弁明してしまい、それが分かり私も「こいつに売られた」感が沸きあがって、広いにぎやかな会場の中で一人悲しくなったのを覚えています。
彼は、自分が悪ものになりたくない一心で伝えたのでしょう。でも結果、取引先の会社への信頼も落とし、私への信頼も落としてしまったのでした。
そして私自身も彼を信用できなくなりました。
後に部下の女性からセクハラで訴えられたのは、なんらか彼の心の奥底に異常な面があったのでしょうが、それがここでも垣間見えた瞬間で、与信管理実務者としては「極力関わってはいけない相手」または「慎重に言葉を選び指示をする相手」かつ、普段から彼とは距離を置くのが良い相手として扱うべき者となったのでした。
つまり与信管理実務者としては、こちらが頼ったり信じてはいけない相手、余計な事も言ってはいけない者として扱わなければならない要注意な営業マンだという事なのです。
そんな彼が、管理職として復帰し、私に頼ってきたということで、ため息しか出なかったのですが、A社の再生の進捗や地裁より終結宣言が出た後の関係人報告会以来E先生ともお会いしていなかったのと単独社長となったY氏への評価なども聞いていみたいと思ったので仕方なく同行したのでした。
関係人集会には欠席した私でしたが、債権者への更生計画配付後に行われた最後の最後となる関係人報告会には出席いたしました。
いわゆる決算報告会であり、一連の処理や交渉過程をダイジェストで報告する会で、出席した債権者の大半は関係人集会で用を済ませているため出席してこないのですが、私はこちらの方を重要視していたので出席させて頂いたのでした。
終結宣言が出ていますので裁判所や裁判官の監視はなくE先生が一人で話すため、いろいろ暴露話や本音での話が聞けそうと思っていたから重要視していた理由だったのですが、一通りの説明が終わった後「最後に一言」ときて「一部の債権者が協力してくれたこと」に対してお礼を述べられました。
私は実はなによりも、これを聞きたかったのでした。
夜も寝られなかったE先生にくらべれば苦労は軽いものでも、元更生管財人が自分の収入が増えるわけでもないのに協力してくれたサラリーマン債権者の私たちに対して、この再生案件で味わった苦労への労いを公の場で示してくれたのは、私のこれからの仕事に対するモチベーションを奮い立たせるに十分、名誉あるものでした。
目線は全体を見られていたので、Qさんの事もさしていたのだと思いますし私の存じ上げない支援者もあったかもしれません。別に私だけが支援の考え方を持っていたわけではないと思うので、私だけに特別にみんなの前で述べられたというわけではありませんが、気持ち配慮してくださった点に「やはり協力して良かったな」と思える瞬間でした。
説明会が閉会し、出口で一人一人の出席者に見送りの挨拶を交わすE先生に、あえて軽く短い会釈をし会場を出た後、我々一行はYさんの待つ事務所へ向かいました。
実は、Yさんは既にA社と枝分かれした別会社の社長として活動されていました。再生の技法としてはよくある話ですが、A社は「再生した」「存続した」と言っても更生計画に基づき会社を分割するシナリオが設けられ、バッドカンパニー(つまり整理清算すべき不良資産会社)とグッドカンパニー(つまり存続可能な営業資産会社)とに分けられ、後者は債権者の認可後すぐに社名変更致しました。
やはり多大な被害を出してしまった案件ですからイメージを刷新するというのはやむを得ない事でした。そして残った前者は資産の清算手続きに入り、換価され配当の原資となるのです。
またグッドカンパニーから生み出される収益も一部は返済原資となるため一回バッドカンパニーに格納され債権者に弁済と定期的に支払われる仕組みになっていました。一見見た目は新生企業ですが、生まれながらに親の借金を背負わされているという感じです。
とは言え、更生債権すべてが無くなっていて配当として収益の一部がそちらに回るだけですから、Yさんにとっては、独立した企業と言って過言ではありません。いわゆるタナボタで社長の座が転がり込んできたわけです。
変更したグッドカンパニーの社名は、AB社とされました。
E先生はそこの顧問として名前を残していましたが、役員には入っておらず、ほぼYさん一人の独占的な支配率となりました。
W君:「着きましたよ。」
私 :「あら?もう着いたんだ。」
街中の官公庁街にあった報告会の会場から、郊外に出て少し高台になった新興住宅街の中にYさん率いるAB社の事務所が建っていました。
比較的新築の白をベースとした簡易建物で、眺めのいいロケーションでありました。
車を降りると目についたのは、建物の真ん前の1台分の駐車スペースに置いてある、国産メーカーが出している海外ブランドのハイクラスセダンで高馬力なスポーツカーモデルと言っても良い最高級セダンがおいてありました。
私 :「これ誰の?」
W君:「たぶんYさんのだと思いますよ。」
私は心の中で「こんな情報くらい掴んどけよ。」と、与信管理では重要な道しるべ情報を見逃しているところにイラつきながら、同時にAB社について「こりゃ先行き怪しいな」と不安がよぎったのでした。
一階は、従業員・・・とは言っても経理担当らしいパートの中年女性と庶務系の若い女性がいて、彼女らから「2階に上がってください」と通されました。
2階に上がると、戸建てにすると20畳ほどの社長室に通されました。
入口から目に入ったのは部屋の一番奥に革張りのソファーがあり、そこに座わるため向かい、そして振返えると部屋全体が見渡せ、入った時に通り過ぎた社長の席が目の前に構え、その机の上には、ほとんど何もなく高級腕時計のカタログ的な特集雑誌が数冊置いてあるだけでした。
四方は大きな窓になっており、市街地が見渡せる良い眺めとなっておりました。
コーヒーが出されて、しばらく待っていましたらYさんの2階に上がってくる足音が聞こえ社長室に入ってきました。
Y氏:「やあ、お待たせしました。」
彼は、私たちが座って待っていたソファーには座らず、自分の社長席に座りそこから話し始めたのでした。
普通、一回は我々の座るソファーに座って数分でも相対して話す礼儀はあっても良いのかな?とも思いましたが、この間までA氏に怒鳴られまくって耐えるだけの日々を過ごしていたYさんですから、仕方ないのかなとも思えたのですが、よく見るとひげを蓄え、きれいに際をそって、高級バーで歌っている歌手の様な風貌になっているのに気づきました。
そんな彼は、目をぱちくりさせている私に向かって
Y氏:「更生手続きの際はいろいろお骨折りいただいて有難うございました。どうですか?身の程知っ
た形になりましたでしょう?」
私 :「そ、そうですねぇ。」
私は正直、表情には出さなかったものの心の中では苦笑いし「そうですかねぇ?」の疑問符を投げかけていました。
Y氏:「あれから社長になって責任も増えましたが、いや~自分でお金のコントロールが出来て、何でも自分で決められるというのはいいもんですね。」
こちらのソファーには一切目もくれず、なにやら持ってきた事務仕事の決裁書類に目を通しながら話しているのでした。
どうやら全国の店舗や営業所の売上報告の様でした。
更生のためのリストラで全国に存在した多くの店舗を売却・整理したとはいえ、まだまだ多くの収入源となる店や営業所も残っていました。
彼の態度はW君をどれだけ軽んじているのかを私が察するに苦労しない態度でもありましたが、くっついてきたその私に対しても同様の姿勢になっているのは「如何なものか」と思う事は、逆に彼らの更生に「協力してやったんだ」という恩着せがましい傲慢だと自分を諫め感情を抑えながらも、それでも私にはイライラ感が増してきたのを感じました。
そのあと一緒に同行してきた若い担当者が、少額な消耗品のセールストークを初めて、それに「ふんふん」と、Yさんはしばらくうなづきながら聞いていましたが、特に興味があるわけでもなく話が終わると再び世間話的な話題へと移り、話しかけてきたのでした。
Y氏:「これどう思います?」
W君:「なんでしょう?」
Y氏が我々に見せたのは、先ほどから机の上に置いてあった腕時計のカタログ雑誌でありました。
Y氏:「これ欲しいんだよね~!?」
(⑯へつづく)