ただっ広い空間に常務と私、向かい合ってオーナーに加え、秘書の男性が座りました。秘書の方は私の持参した資料一式を受け取り、全員に配りました。
オーナーにお見せする資料については、事前に秘書室責任者のスクリーニングを受けていて用紙の大きさや文字の大きさまで指定され、その通りに作成してきましたから当日その場で新たな指摘を受ける事はありませんでした。
「用紙の大きさはA3以上、文字は小さくても10Pt以上」というものでした。
オーナーは、金縁でレンズ下半分がダークブラウン色になっている渋い眼鏡から、同じく金縁ながら虫眼鏡の様な大きな四角く過度の丸いレンズの眼鏡に付け替え、その資料に目を通されました。
常務:「それじゃぁ、今から説明して」
常務が私に指示をして、「それでは・・・」と説明を進めていく事にしました。
用意した資料は全部で3枚、過去10年遡りH社がどの様な経緯を辿ってきたかというものと、直近半年間の資金繰推移をグラフで示したものと、今後半年間を予想した資金繰りのシミュレーション表を分かり易く色付けして作成したもの、そして最後はこのH社が健全な企業になるために必要な資金額と必要な事業活動についてまとめた、いわゆる「見える化」した資料でした。
すべては、常務とグループ役員の面々、秘書室長と入念に打ち合わせたもので、数千人も率いる企業グループの総帥が、社員を路頭に迷わせる様な間違った判断をしない様にするためと、重役面々が自分の身も守るため、資金流出のリスクが少なく無難にフェードアウトできる様なストーリーに仕上がっていました。
資料はその「空気」を読みながら、私が作成したものでした。
最初の資料について「なぜ?H社はこんなことになってしまったのか」を、数字の動きで調査した事実と許される範囲の推測も交えながらグラフを見ながら説明していきました。
少し翻りますが、この資料を作成する際に役員面々から「推測が増えるとかえって不安にさせる」との提案もあったので、とりあえず裏取りは必要という事でH社の代表Oさんを当社に呼び出し面談をさせて頂きました。
私は、前々からOさんの顔は知っていましたが、部下が担当をしていたことだけが縁で、彼の事をよく知っているわけではありませんでした。あの有名な誰もが知っている軽四駆を世に出した(前述)人の御曹司であり、礼儀正しく、まったく敵が出来ない、いわゆる「良い人」の代表的キャラクターであることだけは業界でも良く知られていました。
彼との初面談は常務を通して、当社の応接に来て頂きました。
定刻の10分前には、待合室の隅っこで背筋をまっすぐ伸ばし、両手は膝の上に乗せ、静かに目を閉じて待っておられました。その姿は、禅の修行中の身なのか何かの宗教を信奉されているのか、お声をかけづらい、おそらく「自分は常に“俎板の鯉”だから・・・」という謙虚ながらも開き直った心情が近寄りがたい雰囲気を醸していたのかもしれません。
常務用の応接室を使うとは言え、私との面談なので秘書による部屋へのエスコートは省略させて頂き私が直接、目をつむって静かに佇むOさんの肩をたたき「Oさんですよね?こちらへどうぞ」とお連れした次第でした。
彼が小柄で細身ながら着こなしているスーツは英国製の仕立てられた私のような素人にも高級品だとすぐに感じるところで、また所作も私の声掛けに「かしこまりました」と少し息を溜めて高めの声で返事をされるところなど、それだけで一流の御曹司教育を受けてきた方だと分かりました。見た目は銀行マンの様でそうでもなく、デパートの高級外商マンの様でそうでもない、例えれるならば皇族や貴族の末裔で今は一般の人といった雰囲気がぴったりなのかな?という印象で、成金で金持ちをひけらかすわけでもなく、生まれながらに高級住宅街に住みながら質素な生活をしている様に見えるお方でありました。
二人とも応接に入り、Oさんが奥のソファーに腰かける前に開口一番「つまらないものですが」と何かを差し出してきました。最初は目につかなかった手元の小さな紙の手さげ袋でした。真っ黒な地に金色で描かれた虎の絵のデザイン、思わず受け取ってズシリとした重みを感じた瞬間、私は「あーこれはあの定番の、あの高級ブランドの?」と思わず口に出してしまいまして、それに続きOさんが「はい、気持ちですから・・・」と発してきたのでした。
私は思わず庶民が驚く所作を見せてしまいお恥ずかしい限りでしたが、それもそのはず、推定一本5000円以上する羊羹が、なかを覗けば4本は入っていました。私は驚きもありましたが、その直後には「呆れ」に変わってしまいました。
「自分の会社が倒産するかしないかの瀬戸際に・・・この期に及んで、こういう高級な手土産を持参するなんて・・・。」と心でつぶやきながら、
私 :「社長(ここではOさんのこと)、そんなお気遣いは無用ですから、どうぞ次回は手ぶらでいらしてください。」
と、Oさんにご自身がおかれた身に気づいて頂ける様に、やんわりと諭すように申上げました。実質、初対面だったのでストレートに伝えるのも気が引けたのでした。
O氏:「申し訳ありません。お叱りはごもっともで・・・私は手土産と言えば、これしか思い浮かばなくて・・・。」
私は「いや、そうではなくて、お叱りでも無くて・・・」と正確に伝わらないもどかしさを押し殺しながら、それでも事務所に帰れば女子社員の喜ぶ顔が浮かんだので、無碍に突き返すわけにもいかず、思わず受け取ってしまったのでした。
そういえばこれから2人にとって(常務を入れれば3人)、嵐の、いや地獄の様な展開になっていくのですが、Oさんは当社に来られる(定例会議や緊急で呼び出されるたび)に何回言われてもこの行動を改める事は無く、アポイントのメールなどで「今度は手土産は不要です!!」と強い口調で申し上げても打たれ強いのか、それを全く無視して持ってこられる始末で、「家に羊羹の買いだめた在庫でもあるのですか?」と聞いても都度お店によっているとの事で、これだけ習慣が身について徹底しているところを見ると、呆れも通り越すほどで、私も「これも二人の距離を縮めるツールにはなるのかな?」と思いつつ、ついついこの高級和菓子(つまり羊羹)を受け取ってしまうということが、何度も繰り返されることになるのでした。
そういえば、何本ぐらい頂いたのでしょう。私は1本も食べてない様な・・・。
さてOさんとの面談では、会社の沿革から彼の生い立ち、ご自身の経営に対する信条、現在に至るまでの経緯、そして最後に当グループオーナーとのご関係を伺いたいと思い面談に臨みました。
与信管理実務者としては、世間話の様にリラックスした雰囲気の中話して頂き「なぜこんなことになってしまったのか?」を自分なりに分析できたらいいなぁと考えた次第でした。
ヒアリングの内容ですが、実際はもっと紆余曲折の話があったのですが簡潔に記しますと、Oさんの家系は由緒ある家柄の様ですが、もともと上京された先代の御父上が自動車ビジネスで成功したことから大きな財を成したとの事でした。
軽オート三輪が特に有名だった話、高度成長期に大ヒットし海外にも輸出された話、その後、国内初の軽四駆の開発に至ったものの成長軌道に乗せられず戦略に失敗、人材確保も追いつかず、オイルショックの混乱が追い打ちをかけ、急成長企業にありがちな、前向き需要ながら資金難に陥ったという話を伺いました。苦渋の決断を強いられた先代は、今では世界的軽自動車メーカーとなったS社に事業譲渡を行い会社の存続を適えたとのことでした。
S社の社長さんは、当時二代目としてこれから経営を引き継ぐ若いOさんのことを気に掛けてくれていて、時折電話をくれたそうで後継ぎとしての心構えなどアドバイスしてくれたのだそうです。
Oさんの生い立ちは、二代目の育成という事で幼いころからお母様に礼儀作法を厳しく躾けられたそうです。創業者のお父様は、当然に企業経営に邁進されていたので、ほとんどお会いする事も無かったと回顧されました。有名企業の御曹司がたくさんいらっしゃる大学に入って、ご自身は自動車部に所属され、ラリー競技に打ち込まれたそうで、少ない資金で古いスクラップの車体に、いろいろな寄せ集めのガラクタパーツを流用しオリジナルの競技車を組み立て、大会に参加などされていたとの事でした。
当時、大半を占めていたであろう家が貧乏で苦学生の若者たちは、生きにくく不満だらけな我が国の将来を憂い、権力に立ち向かったり、有り余るエネルギーのはけ口が暴走し、様々な事件を起こしていた時代に、まるでノーベル文学賞を受賞した作家や、或いはその時代に活躍した裕福で高学歴な経歴を持ち政治家などになった近代の文豪たちの小説に出てくる様な、ハイソで充実された青春を過ごされていた様でした。
奥様との馴れ初めなどのお話もして頂きましたが、あまりにも豊かな青春時代をお過ごしだったので、私自身お伺いするだけでお腹いっぱいと言う感じで、恋愛だったかお見合いだったかなど(私が)忘れてしまいました。
会社の沿革などは後日、裏取りのため確認した自動車マニアのネット情報などにもあり、概ね正確でありましたし、それ以外のプライベートな(マニアも喜ぶような)エピソードも伺えて、H社の歴史、Oの会社を経営するまでの歴史についてお伺いするのは、裏取確認とは言っても楽しいひと時だったのでした。
「いかんいかんっ」
常務から、Oさんの術に嵌ってしまう事の無いよう注意を受けていたのです。
Oさんご自身が意図的では無いとは言えるのですが、ついつい肝心な事を聞き逃してしまう雰囲気が作られてしまうとのことで、まさにその術中に嵌ってしまうところでした。伺って裏をとる事はこれではない!と我に返り、私は問いただしました。
私 :「これまでの歴史のお話は十分に大変面白く、楽しませて頂きました。」
O氏:「私の様な、つまらない人生に興味を示して頂き有難うございます。」
「あなたの人生が知りたくてお呼びしたのではないよ」と心の中で突っ込みながら
私 :「なにを仰いますか?素晴らしい経歴ですよ。本音はもっと伺いたいところでありますが、オーナーに正確な状況を報告する必要がありますので、H社の現況についてお聞かせくださいますか?」
応接室の使用期限も迫ってきてしまいましたので、私もテーブルに滑り込ませるようにOさんに対しA3版の資料をいくつか差し出したのでした。
(馬を買ったと思えばいいよ⑦へつづく)