倒産列伝016~馬を買ったと思えばいいよ⑧

倒産列伝

 バブルの清算期になっても、あの頃の金融機関にとって融資先を与信するには不動産しかなかったのだと思います。他に何を信じていいものやら・・・と言う、あの時代において社会からバブル崩壊を引き起こした加害者としてレッテルを張られ、与信の専門家としても否定され、なんにつけても社会の信頼が失墜してしまっていた彼らに、すがってくるのは訳アリの経営者ばかりだったことでしょう。

 丹念な調査を行うのは当然ですが、債務者個人を呼びつけて面談し、人生観やお金に向き合う姿勢などをヒアリングして親族の連帯保証や動産を要求してしまうのは泥臭い金貸しと同類になり世間体が悪いので、やっぱり毛並みの良い行員があまり考えこまず、そして迅速かつスマートに信用供与できるようにするには不動産ありきだったのだと思います。

 これから大いに成長が期待できる事業者があったとしても「業界のことなどわからない」(特に泥臭さに満ちたパチンコやアミューズメント業界などは)、ただでさえバブル時代の未処理の不良債権が山ほどあるのにこの期に及んで新たな貸倒でも招いたら、担当者だけでなくその上長ラインすべてが処分されてしまう時代、支店は容赦なく統合され役職者は黄昏おくり(いわゆるリストラ)が、目の当たりに実行されていた時代ですから、皆委縮し新たな貸付極度については不動産の時価価値通りの枠を用意するのが精いっぱいだったのだと思われます。

 バブル清算の初期のころはまだ「一方的に不動産の差押えをしてきた」とか「債権譲渡(或いは譲受)の通知を送ってきた」とか「(破産や会社更生の)第三者申立てを仕掛けてきた」とか「預金相殺をされた」とか、金融機関側も債権回収のためのハードランディングな行動パターンが見られたものでした。そもそも順1位が大半の根抵当を設定している事で最も有利な位置を確保し、代表の連帯保証もしっかり押さえているのに、不動産の時価価値と根抵当の極度額の乖離が激しいからと、ろくな支援もせずに追加担保の要求をしてきたり強引な回収モードに入る気合の入った銀行もありました。しかし、自分で設定した不動産担保の価値が予想以上に目減りしたからと言って、自身の失敗を棚上げして回収する行為は「金貸し同様の貸し剥がしだ」と世間に非難され、政治家にも攻撃され、悪役中の悪役と言われてしまったのでした。

 そんな中で悪評が経つのを回避したい金融機関って頭が回るのか、営業支援の部分は当社の様な供給者である大手メーカーなどに債務者の面倒を見させ、事がうまくいったらおいしい上澄み利益のうち金利分さえ回収の見込みが立てば、お上に言い訳ができるテイが整うので(元本は税金で賄われる?)、用が済んだら切り捨ててもかまわないという魂胆での融資話が蔓延していたように思います。自分が生き残るため必死だった時代、みんな善の心など壊れていました。

 更には、あわよくば完全回収できる様にと民事再生など倒産を申立てした企業(債権先)を別の健全企業(主に同業)に紹介して再生名目の買収など推し進め、そのせいでそういった企業は自分も民事再生を申立てる羽目になる企業も多く見られるようになりました。いわゆるミイラ取りがミイラになる事例でした。金融機関の「再生参画」などとかっこよいフレーズに惑わされ結局、銀行の回収シナリオに踊らされただけ、その後にハゲタカファンドやヤクザが群がって自身も地獄に落ちる、というパターンを結構見てきたので、「自分はそんな手に乗るか」と与信管理者として強く思っていたもので、O氏が今回のオーナーに救いを求めてきたことは、きっと裏で金融機関の企みがあるのかもしれないと読めたため、それを探す目的の面談でもあったのでした。

O氏:「私は悩んだのですが、彼らはあれよあれよと言う間に話を進めてしまったんです。」

私 :「あ、話に乗ったってことですね?」

 Oさんはああいいましたが、性格的に彼らの提案をはっきりと断る態度を示さなかったのだと想像できました。

O氏:「気が付けば、土地の買収、融資の意思決定、抵当の設定書類、士業の先生方へのアテンド等々進められてしまい、堀を埋められてしまっていたのでした。」

私 :「どの様な感じで進められたのですか?」

O氏:「土地は、港区の一等地、融資はシンジケートローン、抵当1位は代表幹事のメインバンクで設定という流れでした。」

私 :「で、極度額は?」

O氏:「およそ年商分に匹敵する金額でした。」

私 :「あれ?では郊外にある工場はどうやって建てたのですか?」

 ここで、少し気になっていた一等地のテナントビル以外にもう一つ増えていた資産に目を付けていたのでここぞとばかりに聞いてみたのでした。これを合わせると年商をはるかに超える資産額になっていましたから、より大きな極度額が設定されたはずだと。

O氏:「じつは・・・」

私 :「(でたっ)はぁ・・・ほかにもセットで融資の話があったという事ですか?」

O氏:「そうなんです。都会の一等地はテナントが入るもんですから、家賃収入をあてにすると返済は予想以上に進むと考えたのだと思います。バブルの後遺症に悩む市況でも価格も下がったタイミングでしたから貪欲さは残っていましたので。」

私 :「それで極度25%増しの計画になったと・・・」

O氏:「彼らによれば、本社だけでは社会的信用は得られない。生産力向上が大事だと。」

私 :「それは、その通りですね。」

O氏:「ほかの金融機関からも、これだと単なる不動産屋だから製造業の成長支援を行っているというテイが必要だったのだと思います。」

私 :「それで融資枠を増やしてきた、と言うわけですね?共同担保になったわけだ。」

O氏:「はい。」

 「はい」は良いのですが、それらに対する返済計画や根拠となる成長戦略は策定されたのか気になりましたので伺ったところ、これまた金融機関筋の経営コンサルタントを紹介され、いろいろ指導を仰ぐことになったとのことでした。

私 :「なるほど、がんじがらめのおぜん立てが整ったというわけですね?」

O氏:「はい、彼らコンサルタントの指示通りに中期の経営計画書を作成し融資の申込みを行ったところ、お約束通りに決裁され、満額融資が実行可能との事になり、本社ビルと工場の土地買収が行われ、ほぼ手続きが終わったタイミングで支店長や営業部長の方々が挨拶に訪問してこられました。」

私 :「とどめを刺されたということだったのでしょうね。」

 この計画書の内容より、私はO氏の「指示通り」というのが気になりましたが、まずはオーナーに間違った報告はできないので、とにかく真実を引き出そうと耐えて聞きました。

私 :「それで計画の履行状況はどんな感じだったのでしょう?」

O氏:「借入が実行された直後は業績も伸びて返済も順調に推移していました。しかし、三年目あたりからだったでしょうか、ちょっとずつ陰りが見え始めたのは・・・。」

 やはり予想通り、金融機関筋のコンサルが考えたシナリオに何のひねりも無く従ってしまっていたのはわかりました。のちにこのコンサル会社を調べたところ、このメインバンクのOBが設立した会社で資本こそ繋がっていないけれど、実質はメインバンクの意向に沿ったものを策定する連中である事も分かりました。何かあって責任を追及されても、銀行側は資本がまったく繋がっていないので「関係無い」と切り離せるように仕組まれていたのは明白でした。

 当初は順調に見えた計画ですが、案の定三年目で陰りが見え始め返済に黄色信号がともり始めたとの事ですが、確実に増収増益を続けなければ返済もままならない計画でしたから、安定しないこのアミューズメントビジネスの世界では、たちまち行き詰まるリスクはわかっていたはずです。

O氏:「すべては私が悪かったのです。バブルの清算期真っ只中でもありましたしメインバンクは直ちに返済の可能性に対する見直しにかかってきました。たぶん、世の中そういう事例ばかりだったので異様に段取り良かったのだけは印象的でした。」

私 :「それは具体的にどのような事を言ってきたのですか?」

O氏:「まず月次決算書の提出と資金繰表の提出を求めてきて、担当のラインの者がこまめにチェックするようになりました。」

私 :「リスケの要請もしていないのに?まるで分っていたかのようですね?」

O氏:「はい、おそらく私たちの木馬ビジネスはアミューズメント業界の中でも、そもそも細く長い期間で少額な利益をちびちびと得るビジネスが基盤なので、新規の大手さんOEM需要頼りビジネスに組み立てられた返済計画が厳しくなってもカバーなどできるはず無かったのです。」

 「いや・・・それ分かってたのなら、そんな話受けなきゃよかったのに。」と私は思いつつも

私 :「その通りですよね。業界の実務なんて知らない連中が机上の理論で返済ありきの計画では、そうなるに決まってますよね。それで落ち込んでしまった収益の立て直し策などアドバイスはあったのですか?」

O氏:「はい、残念ながら抜本的な回復策などの提案は無く、コスト削減策の提案ばかりする様になりました。」

私 :「銀行にありがちな行動パターンですね。」

O氏:「はい、私が新規の前向きな話を持っていっても彼らには実現可能かどうかわかるはずもなく、収支表の中の科目ばかりに目を付け、ケチをつける状況が多くなり、画期的妙案が出てせっかく盛り上がっても「待った」をかけられ水を差してくることがほとんどで、なにか提案すれば「あれ出せこれ出せ」「過去の成功例を出せ」などと要求してきて、はっきり言ってこんなんじゃ本来の社長としての仕事もままならない、という感じまで追い込まれたんです。」

私 :「そうですよね。」

 典型的な後ろ向き管理体制な銀行主導による「ダメになる」パターンでした。彼らは皆保身に走る時代でした。必死だったぶん逃げるテクニックも手慣れたものだったことでしょう。そのしわ寄せが、O氏に向かってしまったうえ社長業としての実務の足まで引っ張り、「なるモノもならなく」して最後は「すべてO氏のせい」というシナリオが出来ていった過程が想像できました。成り行きだったのでしょうが、その様に仕向けられたと言っても過言ではないように感じるものでした。

(倒産列伝016~馬を買ったと思えばいいよ⑨へつづく)