業界で初めて、企業倒産の法律で最強といわれる会社更生法が適用されたことは良かったのですが、更生計画が無事に成立するまで2年以上かかっていました。
これでも旧来の会社更生等の倒産法よりは改正され劇的に早くなったのではないかと思うのですが、それより早い速度で生き死にを掛けている連中にとっては、止まった世界だったのです。
法的整理は国家権力を持つ司法が関与し、反社会的勢力など悪党の入り込む余地を排除してくれるので、そういう連中の動きを読めず、対応にも慣れていない真っ当に生きてきた債権者にとっては、とても心強いものです。
しかし法的整理で言われる債権者平等の原則というのは、債権者の中でも弱者と言うべき経営基盤の弱い人達から優先して救済されるのではなく、租税、別除権者や共益債権者が優先され、給与債権者が続き、そして一般債権者などが被害にあった債権額に応じて按分され弁済・配当されます。
その結果、今回のA社の会社更生では同社に出入りしていた仕入先(決まって中小企業で経営基盤の弱い弱者ら)などは、「仕事をもらえる上得意様だから」とA社に対し支払猶予や過剰サービスを提供し融通を聞かせていたところも多かったと思われますが、今回の法的倒産によりその心をあだで返す、全く裏切る事態となってしまい、その結果「A社について行って損をした」となり離反を招くことになりました。
あの説明会で声を震わせながら貸倒被害による窮状を訴えた、か弱い老夫婦はその後どうなったのでしょう?
そして、そんなことなど何ら構わない、イケイケの金融機関やリース会社の自分の懐の痛まない若いサラリーマンな人々は、社内で傷ついた自身の名誉回復とキャリアの挽回に必死で、A社の再生を願う余裕などなく、ただ裏切られたうらみ節(実際は自身の会社に対するゼスチャーが多い)を吐き、彼らにとって数十億の貸倒はなんともないはずなのに、他人への配慮など二の次の態度となってしまい、またR社の法務担当の方々の様に、突然降って湧いたようなミッションに応えなければならなくなり、恐ろしい自社の経営者からのプレッシャーに耐えて藁をもすがる思いで必死なのに、それが逆にA社いじめに繋がり非常識な行動をとって、かえって社会的評判を落としてしまう。
債権者にとってA社が倒産する直前までイケイケの強者だったと思っていたことから、過去が虚勢であった事が法的整理により明らかにされ弱者に変貌しても、それまで虐げられていた取引先にとっては恨みつらみとなり、また降って湧いたような突然の事件に巻き込まれた人々にとって理解できるはずもなく、まさに弱者に寄り添う思いやりのある環境など作り出せるわけがなかったのです。
そして当事者のAさんも既に禊は済んだとして「次」を見て活動しており、Y氏はAさんからの長年の屈辱に耐えたご褒美として再生会社の経営権を実力ではなくタナボタで手に入れ放漫経営に手を染めてしまっていました。
Aさんのパワハラ的で一方的に指示をまる投げする経営のやり方はうわべは真似できても、その背景にある精緻な計画やマネジメント、支える人材などを据えるのは真似できなかった様で、経営の質はE先生が居なくなりY氏の支配が定着するにつれ、ゆっくりと悪化していきました。
Fさんはというと、とある展示会の会場で私がすれ違いざまに声をかけ「噂で耳にしましたが、高級ドイツ車を買われたらしいですね?短期間でそうなるのは、やっぱすごいですよ。」
と話しかけたら、「・・・節税だよ、他にないからな。」と一言。
まんざらでもない顔でしたが「お前に興味はない」という顔で、背を向け通り過ぎていきました。
相変わらずアンチ当社な雰囲気でしたが、Y氏との同盟関係については聞けませんでした。
しばらくしてA社に再生の手を差し伸べていたQさんの会社が、直営志向の展開から手を引き事業売却を行って、テナントを誘致する不動産業に専念するというニュースが入ってきました。
彼も理想を掲げて、企業再生支援のトレンドに乗ろうとしたのかもしれませんが「あまりうまくない」となったのでしょうか。
賢明な経営者でしたから、あっさりと躊躇せず決断し手を引いた感じでありました。
それから都内で開催された業界関連のパーティで、A氏のご子息とばったりお会いしました。
元気そうな顔立ちだったのでストレートに「A社の倒産以来どうされていたか」を伺いました。
A社の経営陣に加わっていた時は、検察の目もありましたし外部との接触には距離を置いていた感じでしたが、その時の彼の生活は充実してきていたのでしょう。
積極的にご自分の状況を話してくれ、「あの頃、A社の倒産前に盛大な結婚式を挙げたときの妻とは別れずに、今でも仲良く細々と食って行ってます。現在立ち上げている仕事が順調なんです。」と言ってくれました。
私も、彼の生活は結婚されたときと雲泥の差になっているはずで、そんな困難な状況でも支えてくれる奥さんがいてくれて幸せそうな様子を見て、「当社とも取引が出来る様になれば最高ですね。」と話した記憶です。
彼は「御社と取引できる様になるには、まだまだ時間がかかると思いますが頑張りますよ。」と言って別れました。
しかし順調に行き過ぎたのでしょうか、数年後に彼の会社が自己破産を申立てたとの情報が入ってきました。残念この上ないニュースだったので「なぜ?」と思い、当社はまだ取引していなかったのですが、債権者リストなど取寄せて確認したところ、あまり素性が良いとは言えない連中が関わっているのが分かりました。
噂で「(その連中と)仲良くし過ぎだ」との声も聞こえてはいましたが・・・。
父親のA氏が忠告しても聞かなかったとの事でした。
実際は親子断絶状態であったとも聞きました。
最後にE先生はというと、別件で彼の活動している地方都市に行く機会があったので、通りがかりのご挨拶としてお伺いしたところ快く会ってくださいました。
あの頃からそれなりに権威のある先生でしたが、更に風格が増しA社の案件をこなして以来、その後のショッピングモールの大型倒産などを処理し、すっかり県内では倒産再生案件の第一人者として称号を得ているという感じでした。
隣県の倒産再生弁護士の方々から、「どの様に処理すればよいか」「債権者とのかかわり方は」「法的整理に関する経験談や解釈の仕方」等など、いろいろ相談されるとのことで、私と話している最中にも電話がかかってきていたらしく「〇〇の案件について、どう進めたらよいかと相談を受けておったんですわ」と嬉しそうに言われました。
E先生の様な企業倒産を生業とする弁護士は、バブル清算期前の昔は「弁護士村の先生」と呼ばれ、その中でも「破産しかできない先生」とか「処理案件しかできず生産性のない先生」「ヤクザ者に脅されたり振り回されろくなことない仕事だけど食って行くにはこれしかない先生」などと「そういう使えない先生しかいない」として、弁護士の世界では蔑まれた存在でありました。
とある大手弁護士事務所の先生から昔、「倒産なんて(仕事が)できない先生が請負うもので、なかでも破産案件は新人や助手に任せる仕事。粛々と資産整理し換価して配当するだけだからね。」なんて言われたものです。
しかしバブル清算期を機に、和議が民事再生法にとって代わり、会社更生法も再整備され、弁護士先生たちは、あふれかえる倒産案件にテキパキと対応し、荒ぶるヤクザ債権者も恐れぬ勇気や、企業再生に必要な会社経営に関する知識と財務の知識以外にも様々な経験や知見も求められるようになり、弁護士資格を持っているというだけの能力だけでは到底こなせなくなりました。
それ以前は、前に登場させて頂いた「債権者代表」を名乗って一部の債権者に操られている飲んだくれ先生、どの債権者に対しても悪党に見えるのか恫喝まくり、結局肝心なところは手を付けていなかった「やめ検先生」、その他にもなんだか怪しい「ヤバい先生」たちがたくさんいらっしゃいました。
この方々、おそらく時代についていけなかった先生たちなんだと思います。
E先生は、若い頃は「倒産村」で身を立てる事は考えていなかったと思いますが、本意か不本意か分からずとも、何かの縁があり「倒産村」の一員となった事で、素人が「弁護士と言えば」と想像する花形キャラの法廷先生や国際・特許先生たちから蔑まれ、悔しい思いをされてきたことでしょう。
そして地方都市で我慢強く倒産村で頑張って経験を積み上げてきて、倒産村が脚光を浴びる時代が到来し、それらの苦労は無駄ではなかったのだと思います。
ただ・・・A社の事案の事を考えますと、完璧に企業を再建するという事に辿り着いたかというとまだそれには、ほど遠い状態ではなかったかと思いました。
E先生が周囲から再生案件について成果を出し評価され権威を得ても、A社法人自身、同社に関わった人々すべてが救われたかと言うと到底「そうではなかった」と考えるからです。
バブル清算期はよく「倒産のメカニズム」とか「危ない会社の見分け方」などなど、キャッチフレーズを見る事があり、そういうセミナーが人気を博したり解説本が売れたりしたものです。
ところが今ではほとんど売れないと聞きます・・・なぜでしょう?
また私が現役の与信管理実務担当者であった時代に「あの会社は潰れるの?違うの?じゃあ潰れないの?」と倒産するかしないかだけを自身の極端な思い込みだけで答えを求めてくる人が多くいました。
そういうのは未だに多くいるかと思いますし、ギャンブルの様に「あの企業の倒産を的中させた」などを謳って本を執筆したり、自身の信用に繋げたりするコンサルの人もいます。
これらを求める人が多くいる事が、倒産の真理への道のりが遠ざかる一因かと思うのです。
私の事を評価してくださり、その後もいろいろな会社の経営者として渡り歩いた当時の社長も、「与信管理は難しいが経営者が判断するに信頼できる実務者が大手企業なら必ず存在する」と言ってくれました。しかし、ご自身が理解しているかと言うとそうではありませんでした。
近年就職で引く手あまたの理系脳の人たちだと、計量的根拠から編み出された一つの答えを求め、信じ、判断材料にしたいという銘の方々が多いのですが、企業内ではそれらを物理計算の公式を用いた確率論などを引用し、自社の答えに当てはめられないか頑張る人もいますが、納得いく解を見出した事例は私自身、見たことも聞いた事もありません。
そのため、かえって彼らは「気がおかしくなる」として与信管理の実務を自身の周辺から遠ざけ、保全状況だけ聞きたがったり、極力自分の配下に置きたくないユニットとして距離を置き、普段は遠目から観察していて与信管理が脚光を浴びると「機能しているんだな」と一応評価しますが、しばらく倒産が無かったりすると経営陣からコストカットの象徴として見られると思い込み「今がチャンス」とばかりに「リストラだ」と称し、ユニットごと潰したがる人もいました。
そのたびに経験のある叩き上げの経営者は「そこには手を出さなくてよい」となるのですが、サラリーマンで現場経験の少ない経営者だと真っ先に潰しにかかるか、「わからないけど怖い(潰した後に大型の貸倒でもあったらどうしよう」という責任負担から思いとどまるかのどちらかでした。
調子よく出世してきた現場知らずの役員などは前者代表で、また「自分は与信管理のプロ」と自称する金融機関出身の役員などは後者の類が多かったように思われます。
そうこうしていくうちに与信管理者たち自身が、揺さぶられ続けるサラリーマン人生になって安定しないので、社内で存在をアピールし生き残るためには、前述したような「危ない会社の見分け方」「的中させた」「倒産予兆を見抜く極意」等など、会社で経費を出してもらいやすいセミナーや出版本など世に振り向いてもらうようなそそるキャッチフレーズに対するニーズが多くなっていったのだと考えます。
その結果、皮肉にも、「見分ける事」も「的中する事」も、それらの「極意」も醸成できなくなっていったのではないでしょうか?
最後にA社はどうなったかと言いますと結局、会社更生の終結宣言があった数年間、Y氏の放漫経営で受け皿が安定しないためか分割を繰り返し、ついにはY氏ごと自己破産を申立て消滅していきました。
消滅したとは言ってもA社に従事した一人一人の誰か個人の心にはAさんから学んだものが残っているかもしれません。
でも企業文化として社会に貢献できるほど何かを残したかと言うと、目に見えるものはありません。
Y氏が、叱られ続けたAさんの背中を見て学んだものは、パワハラと放漫経営だけで最後はすべてを失ってしまいました。
A社再生のシナリオは、終結宣言後に綻びはじめ、5~6年くらい経った頃ついには破綻し消滅してしまいました。
これまでのことは、いったいなんだったのでしょうか。
E先生が、最後の別れ際に私に向かって、こう言いました。
E先生:「あなたみたいな人が、本当はこういう類の弁護士になるべきなんですよ。」
私は心の中で「とうに年齢ピークを過ぎた私に言うの?」と突っ込んでしまいました。
歳をとりすぎてるし、はなから弁護士資格を取る能力など無かった自分に「いまさら」といった感があったからです。
E先生にとっては、年齢のこと等関係ないよと言いたかったのかもしれませんが・・・。
(最終⑳へつづく)