A社は会社更生を申立てた後、分割を繰り返し、A社の遺伝子を引継いだその承継会社や分割会社もまた分割したりで、店舗以外の企業部分は自己破産したりで消滅していきました。
会社分割は企業再生を実現するうえで、経営する側や再生の責任を負う側にとっては、悪い癌を取り除く手術の様に短期間で効果を出せる手法だとは思うのですが、肝心な企業文化や従業員のモラール、再生モチベーションをはじめとした、目に見えない「なにか」を切り捨ててしまう反作用もあり、また昔は社会的に突っ込まれる様な不都合なものを葬りたいとか、債権者の目をくらましたいと思う経営者がそういう企みの手段として利用し「悪の禁じ手!!第二会社方式」と言われ、最終的にたいていの会社が消滅してしまう結果を予想できてしまう与信管理者にとっては、思惑がバレバレの詐欺まがいな踏み倒し行為として心証悪い手法の一つだったのでした。
バブルの清算後に起きたITバブルのころから、ファンド系金融マンが会社分割を行う際に「倒産隔離ですよ」とさらっと述べる人が私の面前にもでてきました。
その度に私は心の中で「なぜ軽々しくもそんなことが言えるんだろう?」と憤りを感じたものです。
歴史を知っている弁護士や買収コンサルの方々は、言い方や使うタイミングには気を使っているのが伺われたものですが、その頃のこう言った方々(若い弁護士やコンサルになりたての人たち)になると「技」の一手としか認識がなくなっていたのかもしれません。
過去の考えからくる「禁じ手」だとか「モラル」はハナから持つ気もなさそうでした。
FAXや電子メール1本で数十億の企業買収を持ち掛ける連中が、そのころすでに珍しくなくなっていましたから、時代の流れで仕方のない事だったかもしれません。
そういった風潮でしたから分割していったん取り除かれたはずの病魔は、やがてまた再発するのは時間の問題です。
なぜなら、取り除いたものの中には前述の「なにか」が含まれるのですが、決まって「良いなにか」が失われ、代わりに「悪しきなにか」は残ってしまい、その中に含有される悪しき「企業文化」や「人の織り成す暗黒物質」が再び会社を蝕むようになるのです。
「自分だけおいしい思いをした人たち」が、それを成功体験として「もう一度あの栄光を」と動めき、それらが病魔の再発を招き「第二会社方式」を繰り返すはめになるからだと考えております。
彼ら(悪しきなにか)にとって天敵であった「良いなにか」はきまって取り除かれてしまっています。
実はこの問題は深刻です。
最近でも大手の電機メーカーが、一度傾いてしまった自社を建直すのに血のにじむ苦労を繰返しているのを見れば、体が大きくなるほど病巣を取り除くのは困難だという事が分かります。
そして病巣を放っておけば、悪さを続けるので後々の代まで響きます。
サラリーマン社長なら、自分の任期が終わるからと後任に託し敢えて見逃す場合もあるでしょう。
病巣が人間なら、解雇ができないなど人権にまつわる様々な足かせもあるでしょう。
自分を出世させるために利用した、かつての仲間だったりするとキン〇マを握り合っているので取り除くことは至難の業です。
そうして目先の分割など繰返すうちにオリジナルな企業文化は良いも悪いも失せてしまうのです。
いえ、良い文化のほうが無くなっていくのです。
自分を律さないといけない様な厳しくも良い企業文化というものが・・・。
同じ家電の昔印象に残った事例で言えば、世界で評されたモーター家電で名を馳せたあのメーカーを思い出します。
消滅するまでいろいろもがいた期間もありましたが、当時の女性社長が「男ってバカね。」という発言をしたのが記憶に残っています。
会社と言う船が傾いて沈没寸前と言うのに最後までパワーゲームや妬み嫉みで足を引っ張り合っている経営陣の事を揶揄して言われた様です。
その会社が傾いた原因についていろいろ言われておりましたが、私が当時、与信管理実務者の目線で調べた時は、グループ傘下にあったクレジット会社が、リースか融資かで海外にて3000億円以上の貸倒を生じさせたのが原因ではなかったかと見ていた記憶です。その他にも国内などでもいろいろ問題があったり、バブル清算後期でもあってマクロ環境の影響も大きく報じられましたので、私の観点に異論を唱える方もいるかもしれません。
でも与信管理実務者として追いかけた結果、私はそれが原因に思えたのでした。
そして3000億円以上の純キャッシュの逸失が最終的に製造業である母体を消滅させたと思うのでした。
当時の連結決算で、その被害額を利益率から割り戻したところ想像以上に甚大で、私自身「これはひょっとすると会社が亡くなってしまうかも」と思わせたのですが、長い時間を経たものの案の定その結末となりました。
製造業なのに金貸しを子会社に持ち、好き放題に貸付けさせていたことが問題だったのでしょうか?
もしそうなら、いったいどんなマネジメントをしていたのでしょう?
いったいどんな与信管理をしていたのでしょう?
いったいどんな与信管理者がその仕事を任されていたのでしょう?
その問題が明るみになった頃、その会社の開発の方々数人が当社に試作のゲーム機を持ち込んでこられました。
数人のベテラン開発者で、各々洗濯機とか掃除機の開発者だったと名乗っていました。
顔は疲れ果て不本意な思いで開発したのでしょう・・・、持ち込まれた製品は彼ら気の入らない製品説明をされても当然に売れるはずもないダメなものに思えた記憶です。
かつて数々のヒット作といえる商品を世に出した人たち。
いまでも私の部屋では、毎夏にその会社の扇風機が元気よく稼働しています。
もう40年近く使用できている素晴らしい製品です。
彼らは歳を取って陳腐化してしまい、老害と言われ追いやられてきた様でしたが、果たしてほんとうに会社を傾かせたのは彼らだったのでしょうか?
本当の主犯は私の観点で言いますと、間違いなくあの金融子会社だと思います。
金融子会社による一発の貸倒で数千億の純キャッシュを貸倒させたことで、あの大企業のあらゆる分野の方々が不幸に陥ったたのだと想像しますと心が痛みます。
彼ら開発者は濡れ衣を負わせられ、時間をかけて弄ばれ、それまで培ったキャリアも失い、ご家族も皆その代償を払ったのだと思います。
ひょっとすると貸倒を作った張本人(あの金融子会社の貸倒を作った者たち)は、のほほんと社内を闊歩していたかもしれません。
想像ですが、極悪の病巣なのに「勝ち組」として君臨していたかもしれません。
そういうのに限って世渡りうまく「私は勝ち組だ」などと声高にご自身の幸運な人生を謳うのを見ます。
あのメーカーが消滅する前後、イケイケの中国メーカーにたくさんの技術者が請われて移籍していったと聞きます。
そして、日本にもたくさん輸入されるほどの安価な白物家電を開発していきました。
あのメーカが消滅しなければならなかったのは、いったい何だったのでしょう?
経営者が金融子会社の貸倒発生時に本質を見抜けず、気づいていても放置して「良いなにか」を切捨て「悪しきなにか」を残してしまう結果をつくってしまったからだと思うのです。
最近でもあのメーカーを吸収した国内最大手の家電メーカーもまた不振に苦しんでいます。
人材リストラに手をかけ、その結果多くの「良きなにかを失ってしまった」と代表自ら発信されていた記憶です。
病巣が残っているのではないでしょうか。
かつて私の在籍した会社も、そうでした。
前に取り上げた「軍団系」の方々は、彼らが自分の能力の無さをひた隠し若手を洗脳して育てあげた「病巣」は叩いても叩いても、切り離しても切り離してもしぶとく居座り、その負を継承した「病巣」の血筋は絶える事も改まる事もなく居座っていました。
自身が「病巣」だという事もまったく認識していない者もいたくらいです。
それとは別に、仕事はできなくてもただひたすら上司についていき、あらゆる屈辱に耐えて幸運にも良いポジションを掴んで「勝ち組だ」と名乗る者もいました。
大企業だとこういう人が出てくるのは仕方がないですが、さらにひどいのは成功体験として後進に自分の出世法を自慢したり、バイブルに仕立てて影響力を残したがり、「病巣」を残そうとする者もいました。
年齢が若く、栄光ある将来を夢見るばかりで知見が少なく未熟な若者を洗脳し、彼らが担う企業の将来をも蝕んでいくのです。
さて、A社の場合はどうだったでしょう?
あの会社の名残と言えば、店舗の屋号くらいになるでしょうか。
その名前も次々と変更されたので、名残はまさにわずかな状態になっている事でしょう。
無形の遺産としてAさんの仕事の仕方を学んだ若い方々が、良いも悪いもその一部のノウハウを生かしながら各々スポンサーとなった現在の経営者や店舗のオーナーと調和をはかり、生活を維持するのが精いっぱいなのではないでしょうか。
A社が、年間数百億円の売上をあげるまでに成長するまで、また数十億もの仕入れをする様になるまで、そして上場するまで、長い長い月日がかかりました。
当社でも、A社が上場した時点でとうに退職されていたり、既にこの世に居ない大先輩たちが代々A社を大事な取引先として育て、大事な取引先だと後世に伝え引継ぎ、その関係を維持する方法をも後輩たちに残していってくれたおかげで、高額で高利益な取引を継続し続ける事が出来、多くの部署で様々な人々が同社と関係性を保ち続けることができていました。
その恩恵を受けてきたのはAさん自身もそうなので、当社に感謝し、着いていこうという強い意志も持って頂き、何時でも味方になってくれてきたわけでした。
会社更生を申立てるまでは、当社だけではなくいろいろな仕入れ先とのドラマが進行していたのだと思います。
それが、ある日突然、一部の人の判断だけで途絶える事になりました。
そして、倒産再生のドラマに切り替わったのです。
倒産後、味方になった取引先はどれほどいたでしょう?
R社は激烈に豹変しました。
ほかにもそんな取引先はたくさんいました。
かつて良くした仲間で味方になってくれると思っていた取引先でも、会社はたくさんの個人が集まった集団ですから、その時の組織のリーダーの性格や都合によって態度が変わると思います。
Aさんから見たら「裏切られた」「しょせんこんなものか」「恩知らず」と言いたくなる出来事も多かったことでしょう。
再生に協力した当社だって、私自身や営業のトップだった常務は歴史を知っているので先人たちの苦労を無駄にしないために、最後まで味方になろうと頑張りました。
でも、その他の社内の人たちにとってはいろいろ事情が違っていたし、そんな歴史なんてどうでもよい、倒産したものの痛みなど知ろうともしないドライな人達は多かったかと思います。
常務だって、自身の立場が危うくなりながらも支援を貫くのは難しかったし、風向きが怪しくなれば自分の身を守る手段にでるのは自然な事だったと思います。
やはり倒産は良くないのです。
倒産企業が完璧に再生したところなど、私は見たことありません。
以前のA社には戻られないのです。
自律再生で注目を集めましたが、E先生の退任やY氏の放漫経営でシナリオが変わっていき、目先の分割で再破綻を回避しても「悪しきなにか」が作用し、うまくいかなくなります。
倒産する領域にまで沈み込まぬ様に社員全員が、その水域が具体的にどういう状態なのかを認識し、企業文化として確立し、後世に語り継ぎあるいは形に残しておくべきだと思います。
つまり私は、倒産を生み出すのは中で働く人間だという事を言いたいのです。
あるイケイケ企業の社長さんが、自社の倒産確率を社員向けに掲示している様子が、テレビで取り上げられていましたが、社員に認識してもらい会社全体で水域に至らぬよう努力する意識を持たせるには、とても効果的なことだと感じました。
倒産の恐ろしさや痛みなどをよくわかっていらっしゃる経営者でないとできない事だと思いますが、そういう方は少ないと思います。
この方でも倒産がどんなものか、具体的に、科学的に社員たちに教えているかは伺えませんでした。
「倒産を見抜く方法」「こういう会社は危ない」というフレーズで債権者向けセミナーが開かれるのをよく見ます。それは、「倒産に近づいている自社の状態を認識していない企業の見つけ方」と言う事でしょう。
「決算書で見抜く・・・」というフレーズも見ますね。
決算分析で後講釈される方もいますが、A社の決算書を題材にしたセミナーに参加しましたが、その時の講師の方は、A社の決算書を見て「なぜ倒産したか分かりません」と仰いました。
「倒産しなくてよかったんじゃないか?」まで仰いました。
正直なところ、受講していた私も「そうだろうね」とうなずきました。
あのときA社が公開していた直近の決算書は上場企業として発信された正常なものでした。
後付けで異常値を探し「ここが問題だった」と指摘する方や、「粉飾だった」という人もいました。
しかし私に「そろそろ来る」と思わせていたのは、この事例に関しては決算書でもなく信用調査でもありませんでした。
A社を倒産させたのは、Aさんや関わる社員、取引先、そして金融機関などに巣くう「悪しき何か」が、それぞれ作用したのだと思うのです。
常々私は、スロットマシンの様に最悪の「悪しきなにか」の目がそろっただけ。
直前まで健康そのもので、定期健診で癌があちこちに転移しているのが分かり、結果「手遅れだった」が当てはまりますでしょうか・・・??。
そして癌細胞らは、さらに倒産後も作用し続け、再生に大きな足かせとなりました。
これら倒産の因子と私は読んでいますが、例えると癌細胞だと思っています。
そして人の「織り成すなにか」が癌細胞に変化するのだと考えています。
上場企業だったので、不祥事を機にこの様な末路を組みたてられたのかもしれません。
ただ私は、この話はゲーム業界で歴史上最大の負債総額を抱えた事件において、取引先であったA社が会社更生と言う倒産法の中でも最高の法的整理が適用され、業界の地位が上がったという感動が味わえ、筆頭債権者として自社がその再生の主役になり得えて、自分の経験値を大いに積めると期待し取り組むことができました。
期待通りのスリルを味わい、いろいろな人に出会い、人間模様も見る事も出来ました。
でも残念ながら、これだけ大規模ながら自分の得たかったもののバージョンアップとなる様なものにはなりませんでした。
自分が企業人のまま、業界頂点のメーカーの立場で、自分より大きな力を利用して、取引先の再生を支援するというのは、よく会社の屋上や裏庭などに祠となって祭られているお金や経済の神様たちに「お前、それは傲慢でおこがましい考えなんだよ」と改めて言われてるのだなぁ、という気持になったのでした。
(おわり)