倒産列伝016~馬を買ったと思えばいいよ①

倒産列伝

 「オーナー! これ以上は限界です!!」

 上擦った声で必死に諫言を投げかける会長。

 彼はそれを全く無視し、私の提出した書類に目を通しています。

 「これ以上は、もう続けるわけにはいかないです!」

 会長に続き、社長までも。

 これまた無視・・・。

 

 齢70歳を過ぎていながら180cmを超える長身、金縁(おそらく24K)で厚めの老眼鏡からのぞく鋭い眼光、ゴルフ焼けした肌にオールバック、それらを引き立てる高級仕立てのアイボリースーツ。

 それらどれをとっても、たくさんの苦労と屈辱で叩き上げられた者が醸しだす燻しの威厳が漂っています。

 彼は書類をじっと見つめたままでいます。

 

 沈黙が続くので、諫言を発した当社グループの重鎮たちが、そのことを後悔し始めている空気が漂い、更に重々しくなった時間が流れていきました。

 会長、社長はじめ役員メンバーにとっては絶対的な存在、彼の期待に応えられず気に入られなかった場合、この人から宛がわれた華麗なキャリアなど、いとも簡単に無かった事にされてしまう。

 重鎮らにとって、実に恐怖に震える一時であったかと思います。

 私までもがも思わず・・・

 「彼の能力ではこれ以上再起を図ることは不可能で、将来の可能性はありません。断腸ながらあきらめざるを得ないです。」

 覚悟を決めて発した言葉でした。

 言いたくない言葉でした。

 

 するとそのお方は、しばらく考えた後に机上にぱさっと書類を落とし

 「・・・・・はい、わかりました。」

 すべてが終わった瞬間。

 ある日の昼下がりの事。

 摩天楼とその隙間から東京湾が見渡せ、南向が全面ガラス張りの執務室での出来事でした。

 この返事一つでその場にいた面々がはき出した息のせいか、アイボリー色の高価な調度品に囲まれた一室の空気が解けたのが分かりました。

 私にとっては、数年間続いた苦しい案件が「やっと終わった」と思う反面、あえて負け戦を選んでしまった事への悔しさもあり、一生拭えぬものとして心に残ってしまった案件でもありました。

 話は、遡ります。

 ある日私は、部下らに号令を出し、毎年恒例である「継続管理」への取組を始めていた時でした。

 「継続管理」と言うのは年に一度、グループの主要取引先数万件におよぶ与信状態を見直す大仕事であります。

 与信枠制度を導入している事業部門、導入していない事業部門に関わらず、ある一定の基準額以上の取引実績があった先に対し、商業登記、信用調査と倒産確率、そして決算アラーム分析の結果を確認し、次年度に臨む取引のスタンスを決める業務でありました。

 企業の新陳代謝は基本的に1年で1回転する理論に基づき、取引先の中身を確認するのですが、表面上は変わっていない様に見えて、役員、定款、事業構成や社会の評価、そして財務バランス等々、まったく別のものになっている企業は少なくありませんでした。

 総資産が少なく、いわゆる中小企業になるとなおさらです。

 相手に隙を見せぬため、それら変化を見抜き次年度の与信方針を図る一大イベントであります。

 まずは対象となる企業を基幹システムのデータベースより抽出し、その中から前述の条件で取引先を簡単な指標確認だけで済ませる先と詳細の確認が必要な先とにグループ分けし、彼らと次年度円滑に取引するためにはその取引先に立ちはだかる与信リスクを部下たちが明らかにしていくわけです。

 そして各事業の営業部門に出向き、そこの幹部らに次年度の販売戦略を確認し、営業の都合により力を入れていきたい取引先や、従来通り関係を維持したい先、距離をおきたい先などを聞き取り、それらに先ほど明らかにした取引先ごとの「関係を維持するためには」の課題を提言としてぶつけていきます。

 取引先の状態によっては営業部門に、与信枠を徐々に減額し撤退戦術を汲むか、一挙に減額して距離を置き様子を伺うか、ハードランディングとして強制的に引揚げを行い取引を断ち切るか、と言う様な大抵はネガティヴな情報に基づいたネガティヴな対応が大半になります。

 ここは他の企業内で行われる与信管理と同じではないかと思うのですが、当社ではこれに加えて、もっと力を入れていくべき先、積極的に優遇し拡大する先、現状は問題の多い企業だけれども成長を促し当社の味方にする先等々、ポジティヴな意見も提言するようにしておりました。

 営業にとって一般的に与信管理部門(或いは審査部門)は「邪魔しかしない」といった「敵」の印象を持たれる場合が多く、企業ガバナンス的にも「そういうもの」としてこの関係が「是」とされているものですが、私たちは営業部門にとっては厳しくも、ある反面はこういうポジティヴな助言もするので有難がられる存在でもありました。

 それは私が元々営業出身で、貸倒や債権回収の経験もあり、自分が危機に陥った時に会社や上司から突き放され、ひとりぼっちにされてしまった悲しい経験も持っているが故に、営業部門に最後まで寄り添い、ともに与信リスクを背負う部門としてやっていくポリシーを掲げていたからでもありました。

 この事については、営業経験の無い部下たちやガバナンス志向の強い(というのは表面上で、実際は責任を背負いたくない)管理畑の上層などからは、よく見られていなかったと思います。

 特にグループ体制の変更の度に入れ替わる管理系役員や上層幹部らは不安でしょうがない存在であったかと思います。

 さて「継続管理」の事は機会あれば後に述べるとして

 基幹システムから抽出されエクセルデータに変換された数多くの情報の中の、特に中止すべきとして加わったリストの中に、ある老舗メーカーH社が目に入ったのでした。

 私は、アミューズメント業界の中でも、遊園地やデパートの屋上に設置されている観覧車やメリーゴーランド、ジェットコースター等の大型昇降機の業界や、かわいい動物や戦闘機、新幹線、人気キャラクターを模した子供用の乗物など製造して遊園地の隅っこやスーパーや駄菓子屋の軒先などに設置していた業界(以下、木馬業界とします。)には、とても好感を抱いていました。

 アーケードゲームやソフトメーカーは、生き馬の目も抜くと言っていいほど技術が日進月歩する時代で、製商品を市場に出す事でも戦略と戦略がぶつかり合い、都度負け犬扱いされる人が出てくるほどしのぎを削る厳しい世界でありました。

 しかし、この木馬業界のカテゴリーだけは、マイペースでのんびりした雰囲気で、なかで働く面々も商売っ気なく、やさしい人が多く、悪く言うと「ボーっ」としているところがありましたが、それが魅力だったのでした。

 私は入社4年目の頃、同業メーカーの経営するゲーセンに当社商品を供給したり、OEM生産などの政治的戦略に則った売込みをする役割の営業マンで、激烈に高いノルマ(年100億円超)に追われ、上司にどやされる毎日だったのですが、なぜか「ついでに」という形で彼ら木馬業界の担当もする事になり、心身疲れていた私にとって上司から逃げて彼らの会社を訪問していたので、ほんとうにオアシス的存在となっていたのでした。

 彼らも「いつでもきていいよ」言ってくれ、とても感謝する存在だったのでした。

 そう、この木馬業界に転職したいと思っていたくらいでした。

 しかしバブルに踊った大企業の節税目的で設立されていた遊園地やテーマパークは特に、バブルの清算期に入ると不都合な存在として90年代後半から2000年代初頭には次々と清算・廃業・倒産の憂き目に会い、それらへの供給者であった木馬業界も同様な運命を余儀なくされ、人の良い彼らは抗う事もせず、金融機関や債権者の言いなりに消えていきました。

 「転職しなくてよかった」とは冗談で、私自身は内心、なぜこの様な良い人達が悲劇に会うのだろうとバブル清算の理不尽さに憤りを感じたものです。

 「弱い者、良い人は殺されるよ」

 そんな文句が笑顔で発せられる時代・・・実にあの頃の日本は荒んでいました。

 前述のH社は、そんな中でも生き延びたほうでした。

 時間がかかり開発費もかかる自社オリジナルの製品は極力控えた受注生産に切り替え、主に大企業メーカーと組んでOEM生産を積極的に行い、キャラクターものなど子供に喜ばれるファンタジーでデジタルソフトに頼らない機械仕掛けの景品払出しのマシンなどを発売し、ときたまヒットとなっていました。

 そんな状況をみていましたので、今回の信用下落の報告は内心応援していた私にとって「残念な」と言う思いでもあったのでしたが

 「OEM生産はいろいろコストが嵩み、儲けが少ないので収益性の低下であったり、中小企業なので資金繰計画にも先々見えないところもあり一時的に評価が下がったのだろう」

 「バブルの清算の時より厳しい時代ではないし、銀行もメガと地元信用金庫が着いているし、代表の努力でなんとか持ち直して欲しいと考えるが、営業もあまり通常の商取引は少なく、部品取引など消耗品の債権がある程度でしたので、しばらく距離を置いて静観しておくように提言しとくかな」

 と言う認識にしかなりませんでした。

(馬を買ったと思えばいいよ②につづく)