いよいよオーナーのオフィスへ向かいます。
電車を降りて改札を出ると、すぐに地下道となっており地下鉄と駅前のテナントビル群が直結しています。私はキョロキョロしながら、それを進んでいくと昼時のためか、ひしめく食堂の前にサラリーマンたちがなじみの店前に並んで待っています。
味が好みなのでしょう。
たいてい、こういうお店は「おいしい」はずです。
私の会社は、本丸を首都圏から1時間ほどの郊外に自社ビルとして構え、ライバル会社がおしゃれな六本木などにオフィスを構えても一向に気にしない、特にオフィスの立地イメージにはなんらこだわりが無く、営業所も含め立地は安いところ優先で選ぶ傾向がありました。
そのため私は、山手線の内側(皇居側)で、戦前からあるような煉瓦でできた立体高架が見える様な狭くも都会的で一等の場所に立つオフィスビルで働くことにとても憧れていました。
さらには前述の駅前ビルの地下街があるようなところで、なじみの食堂に夕方5時から安くておいしい肴と安くておいしい日本酒にたらふくのまれて、夏場まだ明るい夕方7時にはヘベレケな酩酊状態になって千鳥足で家路につく、カッコ悪く気楽な毎日を凌ぐ昭和のサラリーマンらの姿に“なぜか”うらやましさを感じていたのでした。
アメリカンな究極の弱肉強食であったゲーム業界にいたからでしょうか・・・。
そして年季が経ち役職がついて、多少自分のペースで飲み食いの時間が持てる様になってサラリーマンの巣窟に出向いたものです。
見た目は小奇麗で店主は愛想悪く、でも激安。
へんな性格の(たぶんそこでしか雇ってもらえない)店員が注文を聞きに来て、すぐ出る定番のおつまみは勝手に黙って持ってくる様な居酒屋をネットで見つけては行くようにしておりました。
いわゆる「せんべろ」です。
そういうお店は、刺身皿に乗っている「つま」や「わかめ」までおいしいのです。
さすが高度成長期から激戦区を生き抜いてきた居酒屋はちがう!!
バブル期前後に開業した価格第一で若者向け量販居酒屋チェーンしか行かなかった私は、質の悪い物を飲み食いすると体調を悪くする中年サラリーマンらに常連になってもらうため、仕入れや調理の努力を続ける個人商店の居酒屋に、いつも感心させられ尊敬したものでした。
さて降りた地下商店街は山手線の外側に伸びてはいましたが、そこもそういう激戦区の一角であることは全体的佇まいから昭和の香りが際立っていたので、十分に感じられるのでした。
見ると、たくさん並んでいる店と少ない店、全く並んでいない店とはっきりと分かれているのが面白く、常に競争を強いられているのだな?と思われ、ここもおいしい店が多いのだろうと大いに期待できる雰囲気でありました。
ついフラフラと立ち寄りたくなるのですが、今日はこれからオーナーに報告があるし、常務からも「終わったら昼めし食いに行こう」と誘われていたので、ついつい「客らが並んでない店でもいいから入りたい」心情を抑え、地下道を通り抜けていくのでした。
と、なぜか突然テレビ局や広告代理店、外資系ホテルチェーンの入る高層テナントビル群が出てきて様相が変わり、都会的で先進的なビル群に囲まれた空間になっていったので、「いよいよオーナーとのご対面だ」と意識しなくとも緊張が走る雰囲気になっていったのでした。
ビルに到着すると、やたら長い長いエスカレーターが伸びていてゆっくりと地上に運ばれて行きます。
私の様に郊外から来た者は、ついつい周囲を見下ろしてその後上を見上げてキョロキョロしてしまいます。その屋内吹き抜けの立体的な構造が不思議で、また対面の下りエスカレーターを利用する人々の垢ぬけ度合いと言ったら、芸能人か有名財界人に会えるのではないかと思うほどキマッたスタイルの人たちばかりで圧倒されてしまいます。
登りきって待ち合わせ場所の周辺を見たら、見慣れたスタイルの常務が立っていました。
常務:「準備は万全か?」
彼も緊張と不安を隠し切れない様で、私の持っているH社のオリジナル資料をのぞき込みました。
私 :「説明資料は、私の鞄の中ですよ。とにかく今日は淡々と説明するだけですね。」
うなずく常務に私は安心させるような口ぶりで伝えましたが、自分も普段には無い、脇汗がにじんきているのがわかって「体は正直だな」と思うのでした。
高ストレスの一言に尽きます。
グループ親会社の専務などから、オーナーと対面した会議で資料を使う場合は、A3がマスト。文字は10.5~14ポイントで示すこと。
とアドバイスをもらいました。
言われなくてもその考えは持っていました。
つるべ落としの没落ぶりを示した棒グラフなどは、オーナーに理解をして頂くように表現するのは何の苦労も無いのです。
年寄りに見せるというよりも、誰にでも分かり易くするのが説明する側の基本ですから。
問題なのは、中小企業の切迫した資金繰状況を、分かり易く表現し見せるのが難儀なのです。
私の読みでは、つるべ落としな収益の低下だけでオーナーが納得してくれるとは思えませんでした。
それは当然に認識しているはずで、叩き上げの老人は「それをどうするか?」と理不尽なまでにストイックな追及をしてくるはずです。
そして、いろいろ万策尽きて資金繰が破綻し、リカバーが効かない状態だという事に納得しないと匙を投げないとも思いました。
そこで私は、オーナーが「こうするとこうなる」的な金と危機感を動的に理解できる資金繰シミュレーション表として紙芝居な感じに数枚作成する事を思いつき、その表の中身を見たオーナーがすぐに
理解して頂けるように工夫を凝らしたのでありました。
よく見る財務経理の方々が作成する資金繰表は、びっしりと収入と支出に項目が入っていて細かいものですが、オーナーはそんなものは見ないので重要な項目だけを表し、土台の罫線はグレー、収入は青字、支出は赤字、中止すべき特記事項は黄色で透明50%、そして「これはこうなる」という様な動的表現をするのにキャッシュインは青字の透明50%の矢印、キャッシュアウトは赤字の透明50%という矢印を用い、「こうするとこうなる」吹き出しを挿入し、細部の文字に至るまで12ポイント以上の文字で、これでもかと言うくらいにカラフルにし動きを分かる表にまとめ上げました。
事前に目を通して頂いたオーナーの近従の方々も、「これなら・・・」と言ってくれ、さらに彼らからは、これらA3の用紙「収益の推移」「資金繰の推移」と銘打って見せながら、ゆっくりと口頭で説明していって欲しいというものでした。
そういえばいつかの役員会や経営会議などで小難しく細かい資料が平気で提出されていてオーナーも上座で目を通されていたのを見ましたが、やはり年齢などを考えますと見づらい物だったのと思います。
ほとんど隠居の様なものだし、優秀な部下らがたくさんいますから「いるだけでいい」という者なんだろうなと推測できました。
しかし私の場合は一対一、しかも切羽詰まった状態であることが明らかな事案を、彼に直接判断してもらわないといけないというものですから、そういった状態であることをオーナーが瞬時に判断できるような内容を見やすく、分かり易く表現する必要もあり、作成にあたっても別に忖度するわけではありませんでしたが、何も言われなくとも常識としてその様な資料を作るべきと考え作ったものでしたが、なにせ期限付きだと、なかなか厳しいものがありました。
最近では当たり前の、モニター画面を使い、パワポでアニメーション機能を使えば問題ないのですが、「オーナーはそんなの使用しても理解しません」とあっさり断られ、頑張るしかない中で作成した資料でもあったのでした。
そして内容は常務も私も、これだけ分かり易く「どれだけひどい状況で、絶望的な状態」が表現できていて、「オーナは一目見てダメだと判断できるだろう」と確信できる内容だったのでした。
常務と二人でエレベーターを上がり、指定の階で「チン」と音がしてドアが開きますとそこは黒とグレーの内装で統一された上場親会社のオフィス入口でした。
いかにも銀行や証券出身の方々が好みそうな無機質な雰囲気を醸し出すもので、あまり明るい事が待っているというような雰囲気にはなれないものでした。
「ウチはエンターテインメント」の会社だよな?と思ってしまうほど、堅苦しく主ぐるしい感じでした。
エレベーターのエントランスから30メートルほど奥に進むと、ようやくトンネルを抜ける感じに受付が見えてくるのですが、急に100㎡はあろうかと思える広間になるのでした。
ここに来るのは2回目くらいかな?と思いながら、受付の女性の方に行こうとしたら、常務が「こっちだよ」と促され、見ますとさらに50㎡ほどの奥があり、その雰囲気は急にグレーから白とアイボリーに代わる空間があって、同じくアイボリー色の高級ソファーがおいてあるのでした。
グレーの空間の方には、出入りの仕入れ業者や金融機関と思しき人たちが、親会社の社員たちとの打合せや商談に控え、座って待っていました。
私たちがそこを通り過ぎてアイボリーの空間ほうに歩いていくと、彼らの目線がいっせいにこちらを向くのが分かりました。
業者は「どこにいくのだろう」、金融機関と思しき人たちは「特別な来客者だ」と察した、そんな感じの目線で見ているのが分かるのでした。
(馬を買ったと思えばいいよ⑤へつづく)