支店長:「当行としましてはH社への資金繰向けの当座貸しに十分な保全がなくて・・・。」
私 :「成果物を譲渡担保として押さえているという事ですか?でも登記されていませんよね?」
支店長:「譲渡担保みたいなもの・・・ってことで、理論上のですね、そういうことです。」
本来、正当な融資なら他の債権者にもわかる様に商業登記に譲渡担保を登記するものですが、まあ金融機関のハシクレですから、他の債権者から異議を唱えられたり、世間体を鑑みて後ろめたさからこうなったのでしょう。
私 :「ということは今後、当社が製造用の資金を出すという事になりますと、この様なやり方は止めて頂けるという事でよろしいでしょうか?」
彼らは、現在リスケ状態(返済の先延ばし)となってしまっている長期の貸付残高数億円に対しては、保証協会、社有不動産、O氏の自宅不動産などほぼ全財産を押さえた保全をしておりました。とは言っても、これもあくまで理論上で、時価を調べますと完全な担保割れとなっていて、「H社に対するこれ以上の融資は限界」であり、なんらかの新たな保全策が必要ということで苦肉の策として「譲渡担保み・た・い・な」と言い訳できる環境にし、生かさず殺さず融資を続けていたのだと思います。
まあ、これはこれで彼らも「大変だな」と思うところですが、当社にH社の開発、部材、下請への工賃まで出させておいて、出来あがってきた成果物(完成品)はK行の貸付残高の譲渡担保にするというのは汚いやり口だと考えますし、やり方に異議を唱える意味でくぎを刺したのですが、彼ら自身も「バレたか」と言う雰囲気で支店長の顔が引きつっているのがわかりました。
今後の当社がお金を出すにあたってお約束として 「週間の資金繰表についてH社を通して共有する」「譲渡担保については止めていただく」など不文ながら約束しK行を退出致しました。
彼らはもちろん当社の登場により、このいつ終わるともわからない資金繰の支援地獄において安心感を得たのですから、上記の保全策など厳密に言うと法律上は所詮、有効なものではありませんので、まさに「渡りに船」「カモがネギをしょって来た」「Oさんでかした」と、逆に喜べる状況になったのではないでしょうか、「是非もない」と本社に報告したとしても顔が立つと言った事だったのだと思います。
一方、当社は巻き込まれてカモになったわけですから、何の得も無いこの資金繰支援地獄に頭を突っ込み、更にはK行という邪魔なライバル債権者の存在にも気を使いながら再生を進めていくという「足かせを強いられた」状態になったのです。
私としてはこの時に既に心の中で、K行を一日も早く排除しようと決めていたのでした。
くどいようですが、この流れをもう一度まとめますと
不動産や土地などフルにH社やO氏の個人資産を担保にしておきながら、担保余力の無さに不安を感じ、O氏を使って当社を巻き込んだことには、彼らの事情を考慮すれば仕方ないやり方だったにしても、当社は嵌められた感があり憤りを感じますし、たとえ私にライバル債権者の舞台から「邪魔だ」という事で退場させられても、あの支店長なら「私の描いた通りになった」とK行本社へ言い訳が立つので、むしろ渡りに船だろうと考えられるし、なによりも本当にH社が、当社やK行の把握しないところで突然破綻してしまった場合には、債権者同士で少ない原資を取り合う目も当てられない惨状となり、見にくい争いとなる事は想像に難くなく、そうなると相手は金融機関ですから、それなりの手ごわい弁護士などそろえてくるわけで、一製造業の当社など不利この上ない最悪の環境になると予想できたからでした。
それにO氏の事だから支店長に何度も呼び出されたとありましたので、我々には内緒で譲渡担保の個別契約を交わされている可能性もあり、当社がH社の再生をなんら憂いなくできる環境を整えないかぎりは、オーナーの望む再生などできないと考えたからでした。
そこで今後は、K行には当社の資金で作らせる作品は譲渡担保にはさせない、更に彼らにはこの舞台から一日も早く退出して頂く策を練ることをオーナーに進言し、実行に係れるようにすることの社内承認を取付ける必要がありました。
しかし、そのハードルは低くはありません。
あまりこのような案件に携わった事が無い役員などは、金融機関を排除する事は当社しか資金を出す者が居なくなるので、H社の資金繰が破綻する可能性が高まり、かえって当社のリスクが増すとか、そもそも当社の借入がある以上、金融機関といざこざを起こしたくない人もいて、理解してもらうのに面倒な人が存在するのが難儀なところでありました。
特に財務系などの事務方の人たちの中には、ご自身について金融業界で鳴らしてきたプロと名乗る方々も多いのですが、実際には倒産法はおろかこういう修羅場の実務については内容も良く知らず経験も無い方々が大半で、結局は思考停止のまま「ま、いいか」で査証するお方が多かったのを記憶しています。
某メガバンクで定年55歳を迎え、身柄引受け前提での出向と言う形で当社に転じてこられ、国内外で支店長を歴任されたという私の上司だった方も、その一人でした。
特に海外においての武勇伝を散々聞かされたのですが、肝心なことでご相談に乗ってもらえる事はありませんでしたし、常務との会議に同席して頂いても「民事再生って何?」などと聞かれてしまう始末で、部下が「知らない」ことについては命一杯「勉強不足だ!!」と責めてくるくせになんとも呆れるキャラクターでありました。
オーナーやグループ役員との会議の席に同席して頂けたことなど一度もなく、事後にご報告に上がっても、内容よりも「オーナーは、僕の事についてなにか言ってなかった?」と聞いてくることばかりで、私は「何もありませんでした」と淡々と返す次第でしたが、心の中では「オーナーはお前の事なんか名前すら知らねぇよ」などと叫びたくなる気持ちでありました。
オーナーもオーナーで、「なんでこんな話を引受けたのかなぁ」と思いたくなる場面も多くありました。当時企業再生の話題と言うのは、あちこちで聞こえておりましたが、弁護士やコンサルタントの中でも企業再生を成功させるというのは、大変な労力がかかるものと言う認識でした。
倒産法(会社更生や民事再生)で債権者や債務者の動きを法の力で統制した状態においても、債務整理など修羅場をくぐり実績を重ねてきた優秀な弁護士ですら命を削るほどなのですから。
「再生」というキーワードは新聞記事などで目にするものです。でもそういう再生と言うのは、物的な捉えで、財務会計上や法律上のテクニックを使った、いわゆる外科手術の完了を指しています。会社更生や民事再生などで「手続終結(終了)」とか言われるのは、手術が成功してしばらく入院し容態が安定してきたところで「あとは自宅療養」と退院させられる癌患者のイメージであります。
それはれで再生という定義に当てはまる事なのでしょう。弁護士さんも命を削った対価として成果をアピールし実績とし、名誉などもらえないと誰も引受手が居なくなります。先生によってはこの時点で他者にバトンタッチと言うのもたくさん見てきました。
でも、本当に肝心なのはそこからなのです。
私が、今までこのBlogで取上げた中で、法的に「再生」を果たしたとされた案件は以下のエピソードになります。
これら事例ではいずれも、一途に再生に取組む素晴らしい弁護士の先生方が登場し、私もその出会いから多くの事を学ばせて頂きました。そして法的には「再生完了」という定義のもとで「終結」として裁判所より宣言がなされたものです。その後を追ってみますとどうでしょうか・・・。
「倒産列伝006」について、創業者である「やんちゃ社長」は完全に経営から離れ、あの会社のキャラクターは大きく変わってしまいました。変わらなくてはならなかったのかもしれません。事業も縮小し、ただの零細企業に後戻りしています。でもこれが私の接したもっとも真の再生事例に近いものと評せるものでした。
「倒産列伝011」は、会社を大きくした創業者とその息子や親族を経営から退け、破産させて個人資産なども弁済にあてがい、まったく別の企業に事業を売却し店舗や多くの雇用を守りました。あの親子は自分らの実権を残したまま事業再生ができないか模索されていましたが、業界内で評判も悪かったし、失礼な態度が多いので弁護士からも接触を避けられていたので、結局は自分らで再生する事はできず実質消滅となってしまいました。
「倒産列伝015」では、上場企業の倒産劇であり大きくニュースにもなりました。会社更生とは人間に例えると脳みそと脊髄を残してでも生きながらえさせるものといわれ、法の力で更生がなされましたが上場していただけにいろんな考え方を持つ従業員を抱えていて、それまでの人間関係もあいまって、最終的に白羽の矢が立って経営権を持たされた人物が、再生後の経営を放漫経営にしてしまい、分割を繰返し最後は、破産し受け継がれてきた遺伝子はほとんど無くなってしまいました。
これらの様に、社外の他人の手を借りなければ、再生する事が出来ない(再生ということは、今は死に体であることを表すかと思います)。分かり易く言うと、これを倒産と呼ぶのですが、そして企業がその様になってしまうと、私の知見では二度と元に戻ることなどできない。今では、その様に考える次第です。
その考えに至った私は、商取引(BtoB)をするうえで経営者は当然、仕入・販売担当者は、パートナーとする取引企業の経営状態を十分に知ったうえで、絶対に倒産させてはいけないという気概を持ちながら商品取引、出資、貸付に取組むべきだと考えるようになったのです。「そこがどうにかなったら、他があるから」とか、お互いに軽薄な気持ちで付き合うべきでは無いと考えるようになったのです。
前述の3例に登場した3社は、当社と同じかそれより長い社歴と当社との取引実績を持ち、ユニークでバイタリティがあり、いろいろな人材を育て養っていました。当然、納税や社会貢献活動もしてきたわけです。
彼らは二度と戻ってきません。
今まで倒産した企業が、倒産せずに生き残っていたらば、日本の経済はどれだけ繁栄したことだろうとも思うのです。でも倒産・消滅した責任の大半は、彼ら自身にあります。だからこそ、そうなる前にパートナーである利害関係者が、彼らが凋落の兆しを見せた時に、そうならない様にすることが大事な事なのではないかと思うのです。私は、そうするために企業はお互いに相手を知る能力を持つことが大事だし、能力を持つ努力をすることも大事だと思うのです。取引される側も相手によっては真実を開示する勇気を持てるようにすることが大事だと考えます。そして相思相愛になり一度取引を始めたらお互いに倒産の道に逸れぬ様にしていかねばならないものだと考えるのです。
「何を青い事を言っているんだ?」と思われる人もいるでしょう。
でも多くの不幸な事例を見続けて至った考えなのです。
私は、その様な活動にこそ与信管理の技術は行かされるべきであると考え、培ってきた実務経験を活かしながら、再生にも携わり経験してみようと思い始めた理由でもあったのでした。
(倒産列伝016~馬を買ったと思えばいいよ⑬へつづく)