Msさんとの対面は、新鮮なものがありました。と言うのは、Ms社の債権者説明会であった「あの時」彼は全く姿を見せていなかったように思います。彼があの場に居れば私の記憶に残っているはずなので。
O氏とMsさんの三人、小さめな応接テーブルに向かい合い、私の何か言いたげな口元を見て思われたのでしょうか、彼が自己紹介のあとに
Ms氏:「私には経営の資質が無かったんです。」
私 :「あの場所にはいらっしゃらなかったですよね?」
Ms氏:「何年も前の事なので記憶は定かではありませんが、弁護士に言われてホテルに逃げてベッドで毛布をかぶり蹲っていたように思います。」
私 :「・・・・・」
Ms氏が続けて話し始めました。
Ms氏:「あの当時、親父から会社を継いだのですが、そもそも会社の社長なんてやる気など無かったんです。」
私の様な普通の出自の人間にはあまり理解できない言葉ですがO氏同様、そこそこ大きな企業の御曹司が発する言葉でありました。
Ms氏:「でも私のせいで、たくさんの方々に多大な迷惑をかけてしまいました。それらは償いきれない事として、しかし何か社会に恩返しする事はできないかと考えていたところに、とある弁護士の先生からお声をかけて頂いたんです。その(会社を倒産させてしまった)経験を活かして再生コンサルタントとして弁護士のアシストをしてみないか?と。」
バブルの反省論はいろいろ周りで唱えられていた時代、「反面教師」とか、後の「しくじり先生」とか、失敗談を学びに変えてセミナーや執筆活動等を行う人々については、前向きなものとして受取られる様になっておりましたので、その様な活動を行っているという人に特に驚くことも批判も無かったのですが、後継者として厳しく育てられながらも不本意な継承を行ってしまい結果、倒産させたことで放漫な経営者と罵られ、たくさんの従業員とその家族を路頭に迷わせてしまい、多くの債権者にも負債を残しながら踏み倒してしまった事に対して、良く聞く生まれながらにお金に卑しく社会から散々金を巻き上げて自分だけ資産を隠し生き延びようとしていたとか、そもそもバカ息子でギャンブルや女性などに狂って損失のツケを会社に負担させ潰したんだとかで悪徳と言えるほど罪の意識なく面の皮厚く涼しい顔してテレビのバラエティ番組やインターネットで自身の人生を語ったり格言を放ち若者に支持されている者や、ため込んだ隠し資産を自身の子供や子孫にバレない様に託し、表舞台には一切出てこなくなった者は見かけるものの、真摯に0から出発し直し正当な仕事をして地道にやり直している人と言うのは、私自身この人しか見たことはありませんでした。
頭髪のほぼすべてが白くなり、顔は赤ら顔なのでお酒が好きなのかもしれませんが健康とは言い難い雰囲気で・・・でもご自分のカルマを刈り取る様に「実はこっちのほうが私には向いていたように思います。」と明るく言われ、腕まくりをし倒産企業の整理や助けを求めてきた複数の再生案件の企業帳簿に老眼を通してくまなくチェックするお姿は、見ていて心から「すごいな」と思うところでありました。この仕事をするために簿記の最高資格を取得し、企業経営や倒産に関する法令など多くを学び、実務に生かせるように努力されたとの事でした。机上の理論を経験とその後の実務に役立てたいという考え方と集中力には倒産させた人への蔑みなどとうに消えてしまい、尊敬に値するものでありました。
さてその話を聞いてまた「あの時」に戻るのですが、その「あの時」に自身が被った経験も忘れ得ぬものでありました。私は「あの時」申立代理人に差し出された条件を、その場で応諾し債権者説明会の会場(Ms工業社内の会議室)を後にし携帯電話で当時の上司に意気揚々と電話したのでした。得意げに「今応諾すれば、弁済金により通常よりも多くの弁済金を得られるので応諾してきた」のだと。
それを聞いた上司の返答は「君は事前に会社の承認を取ったうえで応じてきたのか?」でした。私はてっきり手柄を上司が妬み、この様な意地悪な事を言い出してきたのか?と思いましたので、憤り上司に食って掛かりました。今思えば大きな勘違いでした。当社のルールではこの様な場合に、まず事前に現場へ派遣する担当社員に意思決定を委任することはしない。そして申立代理人等より出された条件については最高意思決定機関にて決裁することなっておりました。私は勉強中の身でありながら、そのことを全く把握しておらず上司に言われ初めて知ったのです。悪く言うと子供の使いに過ぎない存在なのでした。
翌日には別案件の債権回収に出向かなければならず、このまま函館行きの飛行機に乗らなければいけなかった事や未熟なため心が一杯いっぱいであったことから、甘えもあり私の支援を待っている地方の営業マンらに上司の愚痴をこぼしたりなどしてしまいました。
とは言え飛行機の中で頭を冷やし、会社のルールはルールなのですから上司に「そのことは早く言ってよ」と恨みに思ったものの、現場での展開など上司が予想できるはずもなく、彼は出てきた問題に指摘をしてきたまでなので、ここは真摯に忠告に従い歯を食いしばって報告書を作成し同時に最高経営会議と称する機関への稟議の起案を作成したのでした。
当時の経営者は病床にて臥せている高齢のお方でしたが、IT業界では世界から注目される先駆者的存在だったので、電子稟議がすでに存在しており、私の様な者にもノートPCがあてがわれ社外からでもモバイルで業務が行える様になっておりました。稟議の作成について文章の組み立て方などとても厳しく指導されていましたが、「誰にでも(実務の分からない高齢の経営者にでも)分かる稟議で早い意思決定を」と唱えるところでは納得感があり努力のし甲斐がある風土でありました。「急ぎの稟議」というものもご法度で、中身が薄いものだと逆に遅くされてしまう傾向もありました。幸い稟議の起案に関するビジネスの文章力には自信がありましたので、よくよく言葉を選びながら作成し、必ず最短で決裁を頂ける様にロジックと数字を経営者が読みやすいように心がけながら表現し作成したので、素早く決裁を取得する事が出来ました。
何よりも学んだのは、弁護士も人によっては駆引き上手であり、その場で答えを引き出そうとする方もいらっしゃったので、簡単に乗っかってはいけないと思った事でした。
そういえば、あの当時より少し前ではありましたが、和議法が存在したころに、債権者集会において代理人への委任状を要求してきた取引先がありましたが、上司が「当社は委任状は出さない」、出席する担当者は意思決定をもとに投票するのみと回答していたことを思い出しました。決して相手の弁護士は表に出てこず、その会社の代表などに言わせる傾向があるのですが、もっともらしい「おいしい話」が出てきた場合には、背後に知恵を授ける弁護士がいる事を念頭に、つまりは「罠」だと警戒し「尺定規な人」と言われても毅然とした対応が望ましいということ事を学んだのでした。手柄欲に取りつかれ越権行為をしていたのは自分であることに気づかされたのでした。
実はこのころから、そうなるのなら「事前に相手方の倒産の行動パターンや登場人物を察知し、予めこちら側が先に戦術を組んでおく」事は出来ないものかと、そんな超能力みたいなこと「あるといいな」とか「あるのではないかな?」と思い始めていたのでした。
そう、それが「与信管理」と言うものであることに気づくのに時間はかかりませんでした。多くの事例や傾向を体験しそれらを積んでおけば、この様な駆引きに安易に乗ることはないし、乗った振りもできるし、場数を踏めば不思議と予想も的中する様になり、それが「的中」というようなギャンブル的な発想ではなく、「必然的にそうなる」と言えるようになったのでした。
ゲーム業界での長年の営業経験から、大ヒットとなる商品からまあまあな商品や店舗の集客や収益に役に立つ商品であるかまで予想して的中させる感性というものは自然に身についておりました。その感性が身に付くには常にライバル会社の商品であっても「良いものは良い」自社商品であっても「悪いものは悪い」という自分の感覚を正直に言葉にして、それに責任をもったうえで取引先に良い物悪いものにこだわらず集客と収益に役立つ商品の導入を勧め、バランスの良い店舗経営を行ってもらうコンサルをする事が良い営業マンであると信じておりましたし、実際にその様な活動が取引先経営者の信任も得ていたので、この考え方は間違ってないと確信しておりました。当然ながらその間に当たりはずれはたくさんあり取引先から責められた事もありましたが、責任をもってなんらかリカバーし続ける事であてずっぽうはなくなり、真剣に見抜ける“癖”が着いてきて予想が外れることはなくなっていました。なので同様に、この倒産事件の成行きは場数をこなす毎に自然と自信の知見に傾向が積み上がり、予想が外れなくなっておりました。
この様に、債権回収や再生案件においては頭の良い人との駆引きが相応にあるのだという事を体で学んだ次第でした。
「あの時」から意識を戻しますと、Ms氏はご自分の執務デスクと来客用の応接テーブルの間を行ったり来たりしながらO氏と最近の倒産の傾向や世間話を交えた話題に盛り上がっておりました。「資質が無かった」と私に申し訳なかったという態度で接してきたMs氏でしたが、打ち解けてくると明るい方で、過去のご自分をその後の大変な努力で克服し、場数をこなした結果、自身に満ち溢れる笑顔になっていました。今まさに大変な環境にあるO氏に対しても、少しでも不安を解き自然体でいられるように心配っている様子からも大きな余裕を感じる次第でありました。
場を和ませる話が一通り済んだところで、Ms氏が、私に会わせたい方がいるとの事でした。私がO氏に、これから棘の道の企業再生を行うには様々な戦術が必要になり、時には倒産法を活用せざるを得ない場合もある事からいろいろと当たり障りも出てくるので、私が相談している当社顧問の弁護士事務所とは別の弁護士事務所が必要と唱えておりましたので、O氏が旧知のMs氏に相談し彼の恩人でもある倒産再生専門の事務所をご紹介頂けるとのことになったのでした。
いままでの畜産関係の公的ビルから出て、ほんの少し歩いたところのかなり古いながら小奇麗なビルの中にその事務所はありました。1階入口のロビーから上るための階段の手すりが大理石でできていたり、来客用のトイレの作りが何ともレトロなデザインであるのを見て、おそらく昭和30年代以前に建てられたビルではないかと予想できました。既に銀座まで歩いてすぐの外資系大手金融機関のビルにも囲まれているところに立っているこのビルは、戦後の歴史をいろいろと見てきたのか燻を感じるものがありました。
ロビーの少し奥まったところにある照明が薄暗いながらも大理石の壁がかえって落着いた雰囲気を出した小ホールに小さめのエレベーターがあり、それに乗って3階に着くと歩かないすぐの距離に受付用の電話がポツンと台に設置されていて、Ms氏が名乗って呼出すと、きれいな女性秘書の方が出てくるかと思いきや男性の弁護士が出迎えに来られました。
馴染みのMs氏の来所なのでそうなるのでしょうが、O氏や私はクライアントになるかもしれないのに歓迎されていないのかな?と思わせる接遇でありました。弁護士事務所はだいたいはとてもきれいな女性の受付スタッフが居て個室までエスコートしてくれるのですが、ここにはその存在は無く、事務所の中にある会議室に通されたのでした。たしかに事務員の中にはきれいな方もいらっしゃいましたが、目を合わせると挨拶をくれるだけでありました。
有名な大富豪であるS氏の案件と聞いていたでしょうから構えていたのかもしれません。
会議室には弁護士の方が2名、司法書士1名、そして奥にMs氏、なぜか私が真ん中に通されO氏が末席に座るという順になりました。
私としては「なぜ私が中心?主人公はO氏でしょ?」と思えたのでした。
(倒産列伝016~馬を買ったと思えばいいよ⑰につづく)
